2007年12月25日
不思議な交通標識~ポーランドこぼれ話<4>
交通標識って世界共通? そんなことはないんです。
ポーランドでは不思議な交通標識に出会いました。
いくつか紹介します。

まずはこれ。ワルシャワの下町で発見。
赤いバックに白い横線。これは日本でもおなじみ「進入禁止」ですね。
でも、その下の自転車と人が乗った自転車の標識はどんな意味なのでしょうか。

もっと不思議な標識はこれ。手に何かを持った女の子が描かれています。
上側の青い標識は、もちろん横断歩道の標識です。郊外の国道沿いで何度も目撃しました。
手に持ってるものは何? で、この女の子はどうすればいいんでしょうか。

日本の信号は、青→黄→赤→青と順に点灯しますよね。
ポーランドでは、赤と黄色が同時に点灯します。
ここでクイズです。
このあと点灯する信号の色はなんでしょう。
(1)青(2)黄色(3)赤(4)青&黄色(5)その他。
正解者には「1級信号士」の称号を贈り、栄誉を称えます。
☆ ☆ ☆ ☆
T上司ランチ漫遊もヨ・ロ・シ・ク!!
ポーランドでは不思議な交通標識に出会いました。
いくつか紹介します。
まずはこれ。ワルシャワの下町で発見。
赤いバックに白い横線。これは日本でもおなじみ「進入禁止」ですね。
でも、その下の自転車と人が乗った自転車の標識はどんな意味なのでしょうか。
もっと不思議な標識はこれ。手に何かを持った女の子が描かれています。
上側の青い標識は、もちろん横断歩道の標識です。郊外の国道沿いで何度も目撃しました。
手に持ってるものは何? で、この女の子はどうすればいいんでしょうか。
日本の信号は、青→黄→赤→青と順に点灯しますよね。
ポーランドでは、赤と黄色が同時に点灯します。
ここでクイズです。
このあと点灯する信号の色はなんでしょう。
(1)青(2)黄色(3)赤(4)青&黄色(5)その他。
正解者には「1級信号士」の称号を贈り、栄誉を称えます。
☆ ☆ ☆ ☆
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2007年12月18日
愚行の証し…アウシュビッツ中~ポーランド紀行<9>
アウシュビッツ強制収容所。荒涼たる大平原にレンガ造りの建物が整然と並ぶ。
その数28棟。最大1万8000人が収容されていた。
ユダヤ人たちは次々とガス室に送られ、わずか3年間で140万人が虐殺されたとされる。
早暁は霧の海に沈んでいたアウシュビッツ。
午前11時過ぎ、陰鬱な施設には不似合いなほどの青空が広がった。
「死のブロック」と収容者に恐れられた11号棟は、一番奥まったエリアにあった。



臨時裁判所、監禁室、鞭打ち台、飢餓室、身動きすらできない立ち牢…。
裁判とは名ばかり。ナチス親衛隊は、拷問で虚偽の自白を引き出し、銃殺や絞首刑に処したのだ。
それも白日の下、公開で。
集団絞首台も銃殺に使われた死の壁も、居住棟のすぐそばにあった。
処刑の模様を収容者に見せ、恐怖心を植え付けるためだろう。
現場に立つと、処刑されたユダヤ人のうめき声が聞こえてきそうな錯覚に陥る。

ユダヤ人の慰霊と世界平和を祈って、広島から持参した折り鶴を捧げた。
ヒロシマに生を受けたものとして、アウシュビッツの悪夢は他人事ではありえない。
国際政治の現実からは、無意味な行動かもしれない。でも、行動せずにはおれないのだ。
ポーランド人ガイドは、もちろん流暢な英語をしゃべる。
こちらの英語力に問題があり、すべては聞き取れない。
もどかしさが募る。英語力の重要さを改めて実感した。


毒ガス室と死体焼却室は有刺鉄線の外、収容棟からは死角の位置にあった。
集団殺戮だけは、収容者に知られたくはなかったのだろう。
冷え冷えとしたコンクリートの部屋。天井の毒ガス噴出口に不気味さが募った。
ユダヤ人たちはシャワーを浴びるからと全裸にさせられ、この部屋に入れられた。
入口のドアが閉まると同時に、毒ガス・チクロンBが噴き出したのだ。
人間はどこまで残酷になれるのだろうか。そう自問しながらアウシュビッツ第2収容所に向かった。
【写真1、2】居住棟に挟まれた死の壁。ユダヤ人たちはどんな思いで、処刑を目にしたのだろうか
【写真3】集団絞首台。後方の建物はナチス親衛隊詰め所。反対側に収容棟が並んでいる
【写真4、5】広島から持参した折り鶴、メッセージをそえて、犠牲者にささげた
【写真6】半地下式の毒ガス室。内部も当時の姿のまま保存されている。ただし写真撮影は禁止だ
【写真7】毒ガス室そばにあった絞首台。こちらは戦後、ナチス親衛隊員が処刑された
<アウシュビッツ見学について>入場無料。英語ガイドツアーがほぼ1時間おきにあり、1人26ズロチ(約1200円)。クラクフからアウシュビッツまでは列車、バス、タクシー。タクシーが便利で速い。往復で約330ズロチ(1万4000円)。
★ ★ ★ ★
T上司ランチ漫遊もヨ・ロ・シ・ク!!
その数28棟。最大1万8000人が収容されていた。
ユダヤ人たちは次々とガス室に送られ、わずか3年間で140万人が虐殺されたとされる。
早暁は霧の海に沈んでいたアウシュビッツ。
午前11時過ぎ、陰鬱な施設には不似合いなほどの青空が広がった。
「死のブロック」と収容者に恐れられた11号棟は、一番奥まったエリアにあった。
臨時裁判所、監禁室、鞭打ち台、飢餓室、身動きすらできない立ち牢…。
裁判とは名ばかり。ナチス親衛隊は、拷問で虚偽の自白を引き出し、銃殺や絞首刑に処したのだ。
それも白日の下、公開で。
集団絞首台も銃殺に使われた死の壁も、居住棟のすぐそばにあった。
処刑の模様を収容者に見せ、恐怖心を植え付けるためだろう。
現場に立つと、処刑されたユダヤ人のうめき声が聞こえてきそうな錯覚に陥る。
ユダヤ人の慰霊と世界平和を祈って、広島から持参した折り鶴を捧げた。
ヒロシマに生を受けたものとして、アウシュビッツの悪夢は他人事ではありえない。
国際政治の現実からは、無意味な行動かもしれない。でも、行動せずにはおれないのだ。
ポーランド人ガイドは、もちろん流暢な英語をしゃべる。
こちらの英語力に問題があり、すべては聞き取れない。
もどかしさが募る。英語力の重要さを改めて実感した。
毒ガス室と死体焼却室は有刺鉄線の外、収容棟からは死角の位置にあった。
集団殺戮だけは、収容者に知られたくはなかったのだろう。
冷え冷えとしたコンクリートの部屋。天井の毒ガス噴出口に不気味さが募った。
ユダヤ人たちはシャワーを浴びるからと全裸にさせられ、この部屋に入れられた。
入口のドアが閉まると同時に、毒ガス・チクロンBが噴き出したのだ。
人間はどこまで残酷になれるのだろうか。そう自問しながらアウシュビッツ第2収容所に向かった。
【写真1、2】居住棟に挟まれた死の壁。ユダヤ人たちはどんな思いで、処刑を目にしたのだろうか
【写真3】集団絞首台。後方の建物はナチス親衛隊詰め所。反対側に収容棟が並んでいる
【写真4、5】広島から持参した折り鶴、メッセージをそえて、犠牲者にささげた
【写真6】半地下式の毒ガス室。内部も当時の姿のまま保存されている。ただし写真撮影は禁止だ
【写真7】毒ガス室そばにあった絞首台。こちらは戦後、ナチス親衛隊員が処刑された
<アウシュビッツ見学について>入場無料。英語ガイドツアーがほぼ1時間おきにあり、1人26ズロチ(約1200円)。クラクフからアウシュビッツまでは列車、バス、タクシー。タクシーが便利で速い。往復で約330ズロチ(1万4000円)。
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2007年12月11日
愚行の証し…アウシュビッツ上~ポーランド紀行<8>
アウシュビッツへの道のりは遠かった。
ルブリンに寄り道したこともあり、2日遅れで古都クラクフに到着した。
世界遺産アウシュビッツは、クラクフ西30キロのオシフィエンチム市にある。
金曜日午前10時、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所は霧に覆われていた。
重い灰色の空、冷たい風が肌を差す。
荒涼たる大平原にレンガ造りの建物群が広がっている。

収容所ゲート、アーチ状にスローガンが書かれている。
「ARBEIT MACHT FREI」。ドイツ語で、「働けば自由になる」という意味だ。
しかし、ユダヤ人は自由になるどころが、ガス室に送られたのだ。
左から3文字目、「B」の形が変だと思いませんか。
Bの二つの膨らみ、普通は下側が大きいのに、これは上側が異様に膨らんでいる。
この看板を制作させらたユダヤ人が、自らの運命を悟り抵抗の意味合い込めたと言われている。


アウシュビッツ収容所は、ほぼ当時の姿をとどめている。
二重に張り巡らされた有刺鉄線。かつては高圧電流が流されていた。
その間には地雷原。どくろマークに不気味さが募る。
極寒の地、暖房もほとんどない収容者の住居。
木製の3段ベッドが並ぶ。50人用の部屋に200人近くが押し込められた。
人間らしい生活が送れるはずもない。


収容者住居の一部は、資料展示館として使われている。
広いフロア一杯、山のように積み上げられた毛髪。その不気味さに、声をうしなう。
トランク、めがね、義足…膨大な遺品の数が、犠牲者の多さを物語る証しだ。
虐殺に使われた毒ガスがチクロンB。
その空き缶が積み上げられた部屋もある。
建物内部は写真撮影禁止なので、その異様さをお伝えできないのは残念だ。

20世紀人類の愚行の象徴アウシュビッツ。
ようやく霧は晴れ、青い空ものぞいた。
しかし心は陰鬱なまま、さらに収容所内をめぐった。(続く)
【写真1】アウシュビッツ収容所ゲート。「働けば自由になる」のスローガンが寒々しい
【写真2、3】収容所に張り巡らされた有刺鉄線。地雷原を示すどくろマークもおどろおどろしい
【写真4、5】ユダヤ人居住棟。レンガ造り2階建て。ほどんど暖房もない劣悪な居住環境だった
【写真6】見張り塔。重武装の兵士が24時間、監視の目を光らせていた
<アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所>第二次世界大戦中の1942年、ナチス・ドイツがユダヤ人を絶滅させるため、ポーランド・オシフィエンチム市に建設。広さ170ヘクタール。収容所の中まで線路が引き込まれ、ヨーロッパ中からユダヤ人が貨物列車で運ばれてきた。1945年までに140万人がガス室に送られ、殺害されたとされる。ユネスコは1979年、「負の世界遺産」に認定した。
★ ★ ★ ★
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ルブリンに寄り道したこともあり、2日遅れで古都クラクフに到着した。
世界遺産アウシュビッツは、クラクフ西30キロのオシフィエンチム市にある。
金曜日午前10時、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所は霧に覆われていた。
重い灰色の空、冷たい風が肌を差す。
荒涼たる大平原にレンガ造りの建物群が広がっている。
収容所ゲート、アーチ状にスローガンが書かれている。
「ARBEIT MACHT FREI」。ドイツ語で、「働けば自由になる」という意味だ。
しかし、ユダヤ人は自由になるどころが、ガス室に送られたのだ。
左から3文字目、「B」の形が変だと思いませんか。
Bの二つの膨らみ、普通は下側が大きいのに、これは上側が異様に膨らんでいる。
この看板を制作させらたユダヤ人が、自らの運命を悟り抵抗の意味合い込めたと言われている。
アウシュビッツ収容所は、ほぼ当時の姿をとどめている。
二重に張り巡らされた有刺鉄線。かつては高圧電流が流されていた。
その間には地雷原。どくろマークに不気味さが募る。
極寒の地、暖房もほとんどない収容者の住居。
木製の3段ベッドが並ぶ。50人用の部屋に200人近くが押し込められた。
人間らしい生活が送れるはずもない。
収容者住居の一部は、資料展示館として使われている。
広いフロア一杯、山のように積み上げられた毛髪。その不気味さに、声をうしなう。
トランク、めがね、義足…膨大な遺品の数が、犠牲者の多さを物語る証しだ。
虐殺に使われた毒ガスがチクロンB。
その空き缶が積み上げられた部屋もある。
建物内部は写真撮影禁止なので、その異様さをお伝えできないのは残念だ。
20世紀人類の愚行の象徴アウシュビッツ。
ようやく霧は晴れ、青い空ものぞいた。
しかし心は陰鬱なまま、さらに収容所内をめぐった。(続く)
【写真1】アウシュビッツ収容所ゲート。「働けば自由になる」のスローガンが寒々しい
【写真2、3】収容所に張り巡らされた有刺鉄線。地雷原を示すどくろマークもおどろおどろしい
【写真4、5】ユダヤ人居住棟。レンガ造り2階建て。ほどんど暖房もない劣悪な居住環境だった
【写真6】見張り塔。重武装の兵士が24時間、監視の目を光らせていた
<アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所>第二次世界大戦中の1942年、ナチス・ドイツがユダヤ人を絶滅させるため、ポーランド・オシフィエンチム市に建設。広さ170ヘクタール。収容所の中まで線路が引き込まれ、ヨーロッパ中からユダヤ人が貨物列車で運ばれてきた。1945年までに140万人がガス室に送られ、殺害されたとされる。ユネスコは1979年、「負の世界遺産」に認定した。
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2007年12月01日
トイレ事情~ポーランドこぼれ話<3>
ワルシャワ初日、ランチタイムにビールを2杯飲んだ。
ビールは安くてうまい。上機嫌で勘定をすませ、再び街歩きへ。
約1時間後、想定外の事態が発生した。
猛烈な尿意が襲ってきたのだ。
寒いから汗はかかない。取り込んだ水分は、すべて体外に排出せざるを得ない。
寒風吹きすさぶ旧市街を、うろうろきょろきょろ。でも、公衆トイレはどこにもない。

切羽詰まって、道行くおじさんに尋ねた。
恥ずかしくて、お嬢さんには聞けない。
「この辺に公衆トイレはないよ」。哀れむようなまなざしを向ける。
電線もない。けばい看板もない。
歴史的な街並みに、確かに公衆トイレは不似合い。
そんなことより、目前に迫った危機をいかに回避するのかだ。

石畳の道を曲がると、そこに1軒のカフェ。
寒さを防ぐためだろう、入り口のドアは閉まっているが、営業はしているようだ。
あわただしくドアをあけ、カウンターの向こうにいるおじさんに「コーヒー二つ」。
間髪いれず「トイレはどこ?」。
おじさんが指差した先にトイレはあった。
ところが、二つあるドアのマークを見て、思わず「こりゃなんじゃ」。


ドアの一つには▽、もう一つのドアには○と▽ト車椅子マーク。
こんなマークは初めて見た。どっちが男子トイレなんじゃ。
ある推理を働かせドアを開けると、そこはまさしく男子トイレだった。
長い長いトイレ彷徨の旅は、これにて大団円。
くさい話にお付き合いくださり、ありがとうございました
みなさん、どっちが男子トイレか分かりますか。名推理をお待ちしています。

ヨーロッパのトイレ事情はどこもはかばかしくない。
ポーランド各都市の旧市街も例外ではない。
公衆トイレはほとんどない。
トイレがあるのはレストランやカフェ、博物館くらいだ。
飲みたくもないコーヒーを注文するか、見たくもない博物館にお金を払って入場するしかない。
運良く公衆トイレはあっても、1~3ズロチ(45~135円)のチップがいるのだ。
【写真1】ワルシャワの下町。歴史的な街並みにトイレは不似合いではあるが…
【写真2】寒いからだろうドアを閉ざしたカフェ。でも、営業はしていた
【写真3、4】トイレのドアに不思議なマーク。初めてお目にかかった
【写真5】よく探せば公衆トイレもないことはない。チップが必要ではあるが…
★ ★ ★ ★
T上司ランチ漫遊もヨ・ロ・シ・ク!!
ビールは安くてうまい。上機嫌で勘定をすませ、再び街歩きへ。
約1時間後、想定外の事態が発生した。
猛烈な尿意が襲ってきたのだ。
寒いから汗はかかない。取り込んだ水分は、すべて体外に排出せざるを得ない。
寒風吹きすさぶ旧市街を、うろうろきょろきょろ。でも、公衆トイレはどこにもない。
切羽詰まって、道行くおじさんに尋ねた。
恥ずかしくて、お嬢さんには聞けない。
「この辺に公衆トイレはないよ」。哀れむようなまなざしを向ける。
電線もない。けばい看板もない。
歴史的な街並みに、確かに公衆トイレは不似合い。
そんなことより、目前に迫った危機をいかに回避するのかだ。
石畳の道を曲がると、そこに1軒のカフェ。
寒さを防ぐためだろう、入り口のドアは閉まっているが、営業はしているようだ。
あわただしくドアをあけ、カウンターの向こうにいるおじさんに「コーヒー二つ」。
間髪いれず「トイレはどこ?」。
おじさんが指差した先にトイレはあった。
ところが、二つあるドアのマークを見て、思わず「こりゃなんじゃ」。
ドアの一つには▽、もう一つのドアには○と▽ト車椅子マーク。
こんなマークは初めて見た。どっちが男子トイレなんじゃ。
ある推理を働かせドアを開けると、そこはまさしく男子トイレだった。
長い長いトイレ彷徨の旅は、これにて大団円。
くさい話にお付き合いくださり、ありがとうございました
みなさん、どっちが男子トイレか分かりますか。名推理をお待ちしています。
ヨーロッパのトイレ事情はどこもはかばかしくない。
ポーランド各都市の旧市街も例外ではない。
公衆トイレはほとんどない。
トイレがあるのはレストランやカフェ、博物館くらいだ。
飲みたくもないコーヒーを注文するか、見たくもない博物館にお金を払って入場するしかない。
運良く公衆トイレはあっても、1~3ズロチ(45~135円)のチップがいるのだ。
【写真1】ワルシャワの下町。歴史的な街並みにトイレは不似合いではあるが…
【写真2】寒いからだろうドアを閉ざしたカフェ。でも、営業はしていた
【写真3、4】トイレのドアに不思議なマーク。初めてお目にかかった
【写真5】よく探せば公衆トイレもないことはない。チップが必要ではあるが…
★ ★ ★ ★
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