2008年07月27日
いざシルクロードの要衝へ~熱砂の国ウズベキスタン(1)
真夏のイランは43度もあった。リビアでは45度も体験した。「暑さなんてへっちゃらさ」。そんな思い上がりは粉々に砕かれた。2006年夏ウズベキスタン、50度の熱風が出迎えてくれた。東西文明の接点、シルクロードの要衝に位置するウズベキスタン。小泉首相(当時)の中央アジア歴訪と歩調をあわせるように、駆け足でめぐった。
ウズベキスタン? どこにあるの? たぶん10人中9人は、ご存知ないでしょう。
ロシアの南、アフガニスタンの北あたり。旧ソ連領時代は、遠い遠い国だった。
1991年に独立。今では8時間のフライトで、首都タシケントに第一歩を記すことができる。
遠くて近い国、それがウズベキスタンなのだ。

【写真】関西国際空港に駐機するウズベキスタン機。真っ青な機体が青空に映える
タシケント便のフライトは、ちょっと複雑だ。
往路は成田国際空港をスタートし、関西国際空港に立ち寄り、タシケントへ。
復路はまず成田へ降り、それから関空に戻ってくる。
運航効率はいいのだろうが、関空出発客は遠回りを余儀なくされる。
関空1番スポットに駐機するボーイング767-300。
機体と同じ真っ青な制服の客室乗務員が、にこやかに出迎えてくれる。
エコノミークラスでも、ウェルカムドリンクがあるのはうれしい。
午後12時45分、定刻に関空を離陸した。

【写真】赤ワインとおつまみの小袋。もちろん無料、ワインのお代わりもOK
かなり年季の入った機体。椅子はガタガタ、読書ランプも点灯しない。
ほどなく水平飛行に移る。アルコールサービスが始まった。
ウズベキスタンはイスラム教徒が多いが、飲酒OKなのがうれしい。
旅の平穏を願い、同行者と赤ワインで乾杯する。
いよいよ、お楽しみの食事タイムだ。
「fish or beef」。客室乗務員が英語で問いかける。
もちろんビーフ。メーンは牛肉と玉ねぎのソテー。やや甘めのソースが、なかなかうまい。
眼下に黄河のうねりを眺めながら、パンもケーキも平らげる。

【写真】1食目。メーンが牛肉と玉ねぎのソテー。ほかにフルーツ、ケーキ、サラダ
しばらくすると映画タイムだ(別名お休みタイム)。おや、かなり色あせているゾ。
20~30年前のアメリカ映画か。乗客の7割は日本人なのに、字幕も吹き替えもない。
まあ、そんなことに怒っていたら、異境・辺境への旅はできない。
日本製ビールを飲みながら、文庫本を読むことにする。同行者は、深い眠りに落ちた。
離陸から約5時間。窓外には、アジアの尾根・天山山脈が連なる。
映画は3本目だ。見覚えのあるシーンが始まった。
なんと、1981年に公開された「レイダース~失われた聖櫃」。
これは日本語吹き替え。何度見てもはらはらドキドキ、やはり名作だなあ。

【写真】2食目。チーズ、ハム、野菜のミックスサンドイッチ。フルーツとドリンクがセット
やがて2回目の食事タイム。
サンドイッチとドリンクだけ、シンプルなメニューだ。
アルコールを飲みすぎたせいか(ワイン3杯、缶ビール2本)、ほとんど食欲がない。
もったいないので、サンドイッチをデイパックにしのばせる。
ベルト着用サインがともり、ウズベキスタン機は降下を始めた。
眼下に茫々たる大平原が広がる。
午後4時45分、タシケント国際空港にランディング。乗客から拍手が起きた。
日本との時差は4時間、ジャスト8時間のフライトだった。
<ウズベキスタン共和国>1991年、ソ連邦(当時)から独立。日本の1・2倍の国土に約2700万人が住む。80%がウズベク人。ほかにロシア人、タジク人、カザフ人、タタール人などが住む多民族国家だ。ウズベク人の多くがイスラム教スンニ派。
☆なるほど・ザ・クイズ第1回☆
写真はウズベキスタン国旗です。青・白・緑・赤の4色。青は澄んだ空、白は美しい国土、緑は 実り豊かな農業、赤は独立を守る決意を示す。三日月と星はイスラムの象徴。さて、12の星にはどんな意味があるのでしょうか。(1)12の星座を象徴(2)独立の志士12人をたたえる(3)国を構成する12の州(4)国を構成する12民族融和のしるし(5)その他
<お断り>この紀行文は2006年夏のウズベキスタン旅行をもとにまとめたものです。文中の表記は、原則として当時のままです。現在の現地事情と異なっていることもあります。
ウズベキスタン? どこにあるの? たぶん10人中9人は、ご存知ないでしょう。
ロシアの南、アフガニスタンの北あたり。旧ソ連領時代は、遠い遠い国だった。
1991年に独立。今では8時間のフライトで、首都タシケントに第一歩を記すことができる。
遠くて近い国、それがウズベキスタンなのだ。
【写真】関西国際空港に駐機するウズベキスタン機。真っ青な機体が青空に映える
タシケント便のフライトは、ちょっと複雑だ。
往路は成田国際空港をスタートし、関西国際空港に立ち寄り、タシケントへ。
復路はまず成田へ降り、それから関空に戻ってくる。
運航効率はいいのだろうが、関空出発客は遠回りを余儀なくされる。
関空1番スポットに駐機するボーイング767-300。
機体と同じ真っ青な制服の客室乗務員が、にこやかに出迎えてくれる。
エコノミークラスでも、ウェルカムドリンクがあるのはうれしい。
午後12時45分、定刻に関空を離陸した。
【写真】赤ワインとおつまみの小袋。もちろん無料、ワインのお代わりもOK
かなり年季の入った機体。椅子はガタガタ、読書ランプも点灯しない。
ほどなく水平飛行に移る。アルコールサービスが始まった。
ウズベキスタンはイスラム教徒が多いが、飲酒OKなのがうれしい。
旅の平穏を願い、同行者と赤ワインで乾杯する。
いよいよ、お楽しみの食事タイムだ。
「fish or beef」。客室乗務員が英語で問いかける。
もちろんビーフ。メーンは牛肉と玉ねぎのソテー。やや甘めのソースが、なかなかうまい。
眼下に黄河のうねりを眺めながら、パンもケーキも平らげる。
【写真】1食目。メーンが牛肉と玉ねぎのソテー。ほかにフルーツ、ケーキ、サラダ
しばらくすると映画タイムだ(別名お休みタイム)。おや、かなり色あせているゾ。
20~30年前のアメリカ映画か。乗客の7割は日本人なのに、字幕も吹き替えもない。
まあ、そんなことに怒っていたら、異境・辺境への旅はできない。
日本製ビールを飲みながら、文庫本を読むことにする。同行者は、深い眠りに落ちた。
離陸から約5時間。窓外には、アジアの尾根・天山山脈が連なる。
映画は3本目だ。見覚えのあるシーンが始まった。
なんと、1981年に公開された「レイダース~失われた聖櫃」。
これは日本語吹き替え。何度見てもはらはらドキドキ、やはり名作だなあ。
【写真】2食目。チーズ、ハム、野菜のミックスサンドイッチ。フルーツとドリンクがセット
やがて2回目の食事タイム。
サンドイッチとドリンクだけ、シンプルなメニューだ。
アルコールを飲みすぎたせいか(ワイン3杯、缶ビール2本)、ほとんど食欲がない。
もったいないので、サンドイッチをデイパックにしのばせる。
ベルト着用サインがともり、ウズベキスタン機は降下を始めた。
眼下に茫々たる大平原が広がる。
午後4時45分、タシケント国際空港にランディング。乗客から拍手が起きた。
日本との時差は4時間、ジャスト8時間のフライトだった。
<ウズベキスタン共和国>1991年、ソ連邦(当時)から独立。日本の1・2倍の国土に約2700万人が住む。80%がウズベク人。ほかにロシア人、タジク人、カザフ人、タタール人などが住む多民族国家だ。ウズベク人の多くがイスラム教スンニ派。
☆なるほど・ザ・クイズ第1回☆
写真はウズベキスタン国旗です。青・白・緑・赤の4色。青は澄んだ空、白は美しい国土、緑は 実り豊かな農業、赤は独立を守る決意を示す。三日月と星はイスラムの象徴。さて、12の星にはどんな意味があるのでしょうか。(1)12の星座を象徴(2)独立の志士12人をたたえる(3)国を構成する12の州(4)国を構成する12民族融和のしるし(5)その他<お断り>この紀行文は2006年夏のウズベキスタン旅行をもとにまとめたものです。文中の表記は、原則として当時のままです。現在の現地事情と異なっていることもあります。
2008年07月22日
これが最後よ~ポーランドこぼれ話<6>
今や世界に広がる「SUSHI」。
古都クラクフにもお寿司屋さんがありました。 クラクフはバルト海から数百キロも内陸にあります。
それでも握り寿司がたべらっれるって、すごいですね。?

高級そうな店構え。恐る恐る中をのぞいてみると…。
カウンターがあり、ショーケースにはネタが並んでいます。
まさしく日本のお寿司屋さんです。もちろん、お寿司は回ってません。
たった一つ違うのは、板前さんもお客さんも外国人(自国人というべきか)。
優雅に、握り寿司をつまんでいます。
懐ろ具合もよろしくないので、そのままUターンしました。

ポーランドでは日本車もたくさん走っています。
トヨタだけじゃなく、ニッサンやホンダも目にしました。
ルブリンの郊外ではスズキの看板も発見しました。
外国を旅してて、いつも戸惑うのが発音の違い。
特に地名は要注意。例えば日本語ではポズナニですが、こちらではポズナン。
自主管理労組「連帯」発祥の地グダニスクはグダンスク。


もともと英語力があるわけでもないの、出たとこ勝負のきまぐれ紀行。
これまで大きなトラブルにも遭わず、異国遍歴を重ねてきました。
さて次回の旅は…。これからもお付き合いくださいね。
【写真1】かなり高級なお寿司屋さん。けちけち旅行者には敷居が高すぎる
【写真2】メーン道路のそばにあった日本の自動車メーカーの巨大看板
【写真3、4】こちらは世界のあちこちでお目にかかる。もちろん某清涼飲料も
★ ★ ★ ★
T上司ランチ漫遊もヨ・ロ・シ・ク
古都クラクフにもお寿司屋さんがありました。 クラクフはバルト海から数百キロも内陸にあります。
それでも握り寿司がたべらっれるって、すごいですね。?
高級そうな店構え。恐る恐る中をのぞいてみると…。
カウンターがあり、ショーケースにはネタが並んでいます。
まさしく日本のお寿司屋さんです。もちろん、お寿司は回ってません。
たった一つ違うのは、板前さんもお客さんも外国人(自国人というべきか)。
優雅に、握り寿司をつまんでいます。
懐ろ具合もよろしくないので、そのままUターンしました。
ポーランドでは日本車もたくさん走っています。
トヨタだけじゃなく、ニッサンやホンダも目にしました。
ルブリンの郊外ではスズキの看板も発見しました。
外国を旅してて、いつも戸惑うのが発音の違い。
特に地名は要注意。例えば日本語ではポズナニですが、こちらではポズナン。
自主管理労組「連帯」発祥の地グダニスクはグダンスク。
もともと英語力があるわけでもないの、出たとこ勝負のきまぐれ紀行。
これまで大きなトラブルにも遭わず、異国遍歴を重ねてきました。
さて次回の旅は…。これからもお付き合いくださいね。
【写真1】かなり高級なお寿司屋さん。けちけち旅行者には敷居が高すぎる
【写真2】メーン道路のそばにあった日本の自動車メーカーの巨大看板
【写真3、4】こちらは世界のあちこちでお目にかかる。もちろん某清涼飲料も
★ ★ ★ ★
T上司ランチ漫遊もヨ・ロ・シ・ク
2008年07月21日
さようなら悲劇の地~ポーランド紀行<15>
9日目の朝が来た。薄いカーテン越しに明るい日差しが差し込んでいる。
大きな窓から外をみた。大聖堂の尖塔の向こうに、透明感のある青空が広がっていた。
ポーランドで初めて体験する秋晴れだ。太陽は、遠来の異邦人を受け入れてくれたのだろう。
まずアダム・ミツキエヴィチ公園に足を伸ばす。
東西冷戦の終結。その原動力となったポズナニ暴動。その記念碑が、この公園にあるのだ。
2本の柱を組み合わせたような記念碑。高さ20メートル余り。そのスケールに圧倒される。
樹木の多い、手入れの行き届いた公園。天気が良いせいか、ひなたぼっこをする市民も。
あれから半世紀。歴史の現場をいかに残し、いかに伝えるのか。
これは、かなり難しい問題だろう。
続いて旧市街広場へ。中世の街にタイムスリップしたような不思議な感覚が広がる。
第2次大戦で灰燼に帰したが、不屈の市民たちがレンガを積み上げ、往時のまま復元したのだ。
便利さばかりを追い求めるのではない、街づくりの一つのあり方を教えられた思いがした。
今回の旅の目的は、ほぼ達成した。
再び列車でワルシャワに戻る。午後6時過ぎ、すっかり日は暮れた。
ホテルはワルシャワ中央駅から5分。早めに食事を済ませ、眠りについた。



10日目の朝。日本へ戻る日が、ついにやってきた。
アリタリア機、ワルシャワ空港からスイスアルプスを越えてミラノへ。
約2時間のトランジット。午後3時、関空へ向けてテークオフ。



約10時間のフライト。翌日午前9時過ぎ、関空に無事ランディング。
ひろしま出発から11日。長いようで短かったポーランドの旅。
旅のスタイルは人さまざま。これからも、こだわりの旅を続けたい。
<お礼>これでポーランド紀行は終わりました。5カ月間の中断を挟む長期連載。ご愛読に感謝します。
【写真1、2】ワルシャワーミラノ便の機内食。パンケーキとジュースとコーヒー
【写真3】上空から見下ろす雄大なスイスアルプス。もう雪化粧
【写真4】ミラノ空港で食べたピッツア。1ユーロ(約170円)だった
【写真5】ミラノ関空便の夕食。肉か魚がチョイスできる。これは肉
【写真6】日本到着前に出された朝ごはん。パンがいまいちだった
大きな窓から外をみた。大聖堂の尖塔の向こうに、透明感のある青空が広がっていた。
ポーランドで初めて体験する秋晴れだ。太陽は、遠来の異邦人を受け入れてくれたのだろう。
まずアダム・ミツキエヴィチ公園に足を伸ばす。
東西冷戦の終結。その原動力となったポズナニ暴動。その記念碑が、この公園にあるのだ。
2本の柱を組み合わせたような記念碑。高さ20メートル余り。そのスケールに圧倒される。
樹木の多い、手入れの行き届いた公園。天気が良いせいか、ひなたぼっこをする市民も。
あれから半世紀。歴史の現場をいかに残し、いかに伝えるのか。
これは、かなり難しい問題だろう。
続いて旧市街広場へ。中世の街にタイムスリップしたような不思議な感覚が広がる。
第2次大戦で灰燼に帰したが、不屈の市民たちがレンガを積み上げ、往時のまま復元したのだ。
便利さばかりを追い求めるのではない、街づくりの一つのあり方を教えられた思いがした。
今回の旅の目的は、ほぼ達成した。
再び列車でワルシャワに戻る。午後6時過ぎ、すっかり日は暮れた。
ホテルはワルシャワ中央駅から5分。早めに食事を済ませ、眠りについた。
10日目の朝。日本へ戻る日が、ついにやってきた。
アリタリア機、ワルシャワ空港からスイスアルプスを越えてミラノへ。
約2時間のトランジット。午後3時、関空へ向けてテークオフ。
約10時間のフライト。翌日午前9時過ぎ、関空に無事ランディング。
ひろしま出発から11日。長いようで短かったポーランドの旅。
旅のスタイルは人さまざま。これからも、こだわりの旅を続けたい。
<お礼>これでポーランド紀行は終わりました。5カ月間の中断を挟む長期連載。ご愛読に感謝します。
【写真1、2】ワルシャワーミラノ便の機内食。パンケーキとジュースとコーヒー
【写真3】上空から見下ろす雄大なスイスアルプス。もう雪化粧
【写真4】ミラノ空港で食べたピッツア。1ユーロ(約170円)だった
【写真5】ミラノ関空便の夕食。肉か魚がチョイスできる。これは肉
【写真6】日本到着前に出された朝ごはん。パンがいまいちだった
2008年07月19日
ポズナニ…はるかなる旅路~ポーランド紀行<14>
そして8日目の朝が来た。
3日間を過ごした古都クラクフのホテルを早朝にチェックアウト。
ワルシャワから西へ300キロにあるポズナニを訪ねることにしたからだ。
ポズナニはポーランド建国の地。
ワルシャワとベルリンを結ぶ要路にあったポズナニは、第2次世界大戦で徹底的に破壊される。
1956年6月28日、さらなる悲劇がポズナニを襲った。それが「ポズナニ暴動」だ。
生活改善を求める学生や労働者による反政府・反ソ連デモ。
ソ連軍の介入を恐れる政府は強圧的な鎮圧に乗り出し、数百人が死傷する大事件となった。
この出来事が一粒の種となり、東欧の民主化運動として開花したのだ。
1956年「ハンガリー動乱」、1868年「プラハの春」と続き(いずれもソ連軍が弾圧)、
1980年、グダニスクで自主管理労組「連帯」が組織されるにいたる。
ポズナニ暴動は、東欧「独立」を経てソ連邦解体へいたる、東西冷戦終結の原点なのだ。
でも、ポズナニはあまりに遠い。まずクラクフから列車でワルシャワへ。
ノンストップで約3時間。ほどよい列車の揺れが心地よい。
すぐに眠りに落ちた。正午前、列車はワルシャワ中央駅に滑り込んだ。
ここで弱気の虫が目覚めた。「このままワルシャワにとどまり、のんびりしたいなあ」。
「戦争の悲劇・狂気を学ぶために、お前はここに来たんだろう。そんなことでどうする」。
ためらいは一瞬だった。ヒロシマ人として、その答えは明白だった。

さらに列車で4時間。午後4時前、やっとポズナニに到着した。
ポズナニの空にも太陽は見当たらない。夕闇が迫る駅から、ホテルへ急いだ。
荷物を投げ出し、ベッドに横たわる。広い窓からポズナニ大聖堂が一望できた。
<後日談>旅の7―9日目を撮影したSDカードが見当たらない!! 入院騒動もあり、バックアップもしていなかった。メモ帳もすでに紛失。整理整頓の大切さを改めて実感。今回掲載したポズナニ大聖堂の写真は昨年11月8日掲載分の再掲載です。
【写真】ポーランド最古のキリスト教会・ポズナニ大聖堂。第2次大戦で破壊されたが、戦後に再建された
<T上司ランチ漫遊もヨロシク!!>
3日間を過ごした古都クラクフのホテルを早朝にチェックアウト。
ワルシャワから西へ300キロにあるポズナニを訪ねることにしたからだ。
ポズナニはポーランド建国の地。
ワルシャワとベルリンを結ぶ要路にあったポズナニは、第2次世界大戦で徹底的に破壊される。
1956年6月28日、さらなる悲劇がポズナニを襲った。それが「ポズナニ暴動」だ。
生活改善を求める学生や労働者による反政府・反ソ連デモ。
ソ連軍の介入を恐れる政府は強圧的な鎮圧に乗り出し、数百人が死傷する大事件となった。
この出来事が一粒の種となり、東欧の民主化運動として開花したのだ。
1956年「ハンガリー動乱」、1868年「プラハの春」と続き(いずれもソ連軍が弾圧)、
1980年、グダニスクで自主管理労組「連帯」が組織されるにいたる。
ポズナニ暴動は、東欧「独立」を経てソ連邦解体へいたる、東西冷戦終結の原点なのだ。
でも、ポズナニはあまりに遠い。まずクラクフから列車でワルシャワへ。
ノンストップで約3時間。ほどよい列車の揺れが心地よい。
すぐに眠りに落ちた。正午前、列車はワルシャワ中央駅に滑り込んだ。
ここで弱気の虫が目覚めた。「このままワルシャワにとどまり、のんびりしたいなあ」。
「戦争の悲劇・狂気を学ぶために、お前はここに来たんだろう。そんなことでどうする」。
ためらいは一瞬だった。ヒロシマ人として、その答えは明白だった。
さらに列車で4時間。午後4時前、やっとポズナニに到着した。
ポズナニの空にも太陽は見当たらない。夕闇が迫る駅から、ホテルへ急いだ。
荷物を投げ出し、ベッドに横たわる。広い窓からポズナニ大聖堂が一望できた。
<後日談>旅の7―9日目を撮影したSDカードが見当たらない!! 入院騒動もあり、バックアップもしていなかった。メモ帳もすでに紛失。整理整頓の大切さを改めて実感。今回掲載したポズナニ大聖堂の写真は昨年11月8日掲載分の再掲載です。
【写真】ポーランド最古のキリスト教会・ポズナニ大聖堂。第2次大戦で破壊されたが、戦後に再建された
<T上司ランチ漫遊もヨロシク!!>
2008年07月18日
古都クラクフの陰鬱~ポーランド紀行<13>
日本を出発して7日目の朝がやってきた。
ホテルのバイキングでしっかり腹ごしらえをして、世界遺産クラクフ旧市街の散策だ。
これで今回の旅の目的のほぼ9割を終えることになる。
中世の面影を色濃く残す古都クラクフ。
17世紀初頭のワルシャワ遷都まで、ポーランド王国の首都として繁栄を極めた。
第2次大戦の被害を奇跡的に免れ、1978年に世界遺産に登録された。


きょうも冷たい雨が降っている。
ポーランドには明るい太陽はないのだろうか。
10月28日日曜日午前9時、気温は摂氏2度。しっかり着込んでホテルを出発した。
まずはトラム(路面電車)で、ヴィスワ川のほとりに立つヴァヴェル城へ向かう。
旧市街南端のヴァヴェル城を起点に、夕方まで徒歩で旧市街をめぐるつもりだ。
ゆるやかな坂道を上がると、石造りの城門が迎えてくれる。


城門をくぐると、すぐ左手に壮麗な大聖堂が姿を現す。
金色のドームがジグムント・チャペルで、ルネサンス建築の最高傑作といわれる。
さらに坂道を上り、やっと王宮の入口にたどりついた。
王宮は16世紀初頭に建てられたもので、ゴシックとルネサンスの複合様式だ。
現在、王宮は博物館として公開されている。入場料は、たぶん15ズロチ(約600円)。
入場の順番を待つ子どもたちがいた。小学校低学年くらいだろうか。

この子どもたち、日本人的感覚で言うとすでに真冬の装い。
10月下旬でこうだから、厳寒1~2月の厳しさはどれほどなのだろう。
無邪気なはずの子どもたちに覇気が感じられないのは、寒さのせいなのか。
王宮の観光を終え、同じ坂道をとろとろ下る。
市庁舎、修道院、大司教宮殿、聖ヤン教会と旧市街には見どころが多い。
午前11時半、雨はやんだが、太陽は顔を出さない。


やはり10月下旬は観光には厳しい時季だったのか。
ランチ休憩をはさんで、ヴァヴェル城南東1キロにあるカジミェシュ地区に足を延ばす。
映画「シンドラーのリスト」の舞台となったユダヤ人ゲットーがあったところだ。
アウシュビッツは、このゲットーから西へ約50キロ。車で1時間の距離だ。
2日前に訪ねたアウシュビッツの重い体験が、脳裏にフラッシュバックした。
ヒロシマ人としてどう行動すればいいのか、心が晴れないのは天気だけのせいではないだろう。


ポーランド7日目の夜がきた。陰鬱な1日が終わろうとしている。
あさって火曜日にワルシャワに戻らなければ、木曜に日本には帰れない。
心の整理がつかないままベッドに入ったが、眠りはすぐには訪れてはこなかった。
【写真1】クラクフ旧市街を走るトラム。観光客には安くて便利だ
【写真2】旧市街から、王宮を望む。きょうも嫌な雨だ
【写真3】なだらかな坂道を上ると頑丈な門があった
【写真4】大聖堂。金色のドームがジグムント・チャペル
【写真5】王宮中庭。ぐるりと壮麗な建物が並ぶ
【写真6・7】旧市街の歴史的建造物(取材メモをなくしたため詳細は不明)
【写真8】ユダヤ人ゲットーがあったカジミェシュ地区
【写真9】ユダヤ教礼拝堂オールド・シナゴーグ
<T上司ランチ漫遊もヨロシク!!>
ホテルのバイキングでしっかり腹ごしらえをして、世界遺産クラクフ旧市街の散策だ。
これで今回の旅の目的のほぼ9割を終えることになる。
中世の面影を色濃く残す古都クラクフ。
17世紀初頭のワルシャワ遷都まで、ポーランド王国の首都として繁栄を極めた。
第2次大戦の被害を奇跡的に免れ、1978年に世界遺産に登録された。
きょうも冷たい雨が降っている。
ポーランドには明るい太陽はないのだろうか。
10月28日日曜日午前9時、気温は摂氏2度。しっかり着込んでホテルを出発した。
まずはトラム(路面電車)で、ヴィスワ川のほとりに立つヴァヴェル城へ向かう。
旧市街南端のヴァヴェル城を起点に、夕方まで徒歩で旧市街をめぐるつもりだ。
ゆるやかな坂道を上がると、石造りの城門が迎えてくれる。
城門をくぐると、すぐ左手に壮麗な大聖堂が姿を現す。
金色のドームがジグムント・チャペルで、ルネサンス建築の最高傑作といわれる。
さらに坂道を上り、やっと王宮の入口にたどりついた。
王宮は16世紀初頭に建てられたもので、ゴシックとルネサンスの複合様式だ。
現在、王宮は博物館として公開されている。入場料は、たぶん15ズロチ(約600円)。
入場の順番を待つ子どもたちがいた。小学校低学年くらいだろうか。
この子どもたち、日本人的感覚で言うとすでに真冬の装い。
10月下旬でこうだから、厳寒1~2月の厳しさはどれほどなのだろう。
無邪気なはずの子どもたちに覇気が感じられないのは、寒さのせいなのか。
王宮の観光を終え、同じ坂道をとろとろ下る。
市庁舎、修道院、大司教宮殿、聖ヤン教会と旧市街には見どころが多い。
午前11時半、雨はやんだが、太陽は顔を出さない。
やはり10月下旬は観光には厳しい時季だったのか。
ランチ休憩をはさんで、ヴァヴェル城南東1キロにあるカジミェシュ地区に足を延ばす。
映画「シンドラーのリスト」の舞台となったユダヤ人ゲットーがあったところだ。
アウシュビッツは、このゲットーから西へ約50キロ。車で1時間の距離だ。
2日前に訪ねたアウシュビッツの重い体験が、脳裏にフラッシュバックした。
ヒロシマ人としてどう行動すればいいのか、心が晴れないのは天気だけのせいではないだろう。
ポーランド7日目の夜がきた。陰鬱な1日が終わろうとしている。
あさって火曜日にワルシャワに戻らなければ、木曜に日本には帰れない。
心の整理がつかないままベッドに入ったが、眠りはすぐには訪れてはこなかった。
【写真1】クラクフ旧市街を走るトラム。観光客には安くて便利だ
【写真2】旧市街から、王宮を望む。きょうも嫌な雨だ
【写真3】なだらかな坂道を上ると頑丈な門があった
【写真4】大聖堂。金色のドームがジグムント・チャペル
【写真5】王宮中庭。ぐるりと壮麗な建物が並ぶ
【写真6・7】旧市街の歴史的建造物(取材メモをなくしたため詳細は不明)
【写真8】ユダヤ人ゲットーがあったカジミェシュ地区
【写真9】ユダヤ教礼拝堂オールド・シナゴーグ
<T上司ランチ漫遊もヨロシク!!>
2008年07月11日
地底100メートルの礼拝堂~ポーランド紀行<12>
ここはクラクフ近郊、世界遺産「ヴィエリチカ岩塩坑」。
狭い坑道を右往左往しながら、地底探検は続く。
英語ガイドに導かれ、坑道を抜けると、一気に視界が開けた。
これはなんだ!! あまりの壮麗さに息をのんだ。
聖キンガ礼拝堂だ。
地底100メートル、地底探検の最大のハイライト。
まばゆく煌くシャンデリア。もちろん岩塩でできている。
それだけではない。祭壇から壁を飾る彫刻、床のタイルまで、すべて岩塩なのだ。
ここで働いていた労働者たちが、日々の安全を願って切り開いたもの。
もちろん祭壇も彫刻も、彼らのノミから生み出された。
芸術性の高さには脱帽するしかない。
この礼拝堂、今も日曜ミサや結婚式で使われているとか。
長い地底探検も終わりに近づいた。
どうやって地上に戻るのか。あの長い急峻な階段を上らねばならないのか。
ガイドに促され坑道を進む。ガイドの優しい視線の先にエレベーターがあった。
わずか1分あまり、一気に現実世界へ引き戻された。
ポーランド旅行、残された日は実質3日。
古都クラクフに滞在しながら、いまだ世界遺産・旧市街の観光もしていない。
あすからどうしよう。、どうやってワルシャワに戻ろうか。
今夜、ビールでも飲みながら、ゆっくり考えることにしよう。
【写真1】聖キンガ礼拝堂。地底100メートルにあるとは思えない壮大さだ
【写真2】シャンデリアがきらめく壮麗な祭壇
【写真3】岩塩に刻まれた「最後の晩餐」。すばらしい、としか言いよう
【写真4】広い地底世界。レストランやコーヒールーム、トイレもある
【写真5】地上世界へ一気に引き戻してくれるエレベーター
2008年07月04日
この穴なんだ~ポーランドこぼれ話<5>
古都ルブリン旧市街。ぶらぶら散策していて、不思議なものを見つけました。
中世の面影を残す石造りの建物入り口わき、丸い穴をうがった石の板。
厚みは上部が10センチくらい、下部は25センチはありそう。
さあ、これはどんな目的に使用したものでしょうか。
こちらはホテルのドアノブにぶら下げる「睡眠中、起こさないでね」メッセージ。
ポーランド語と英語だけじゃなく、乱舞する大きなZの文字。
ZZZZZZ~は、ポーランドでも睡眠中を表すようです。
これって世界どこでも通用する記号なのかなあ。
パトカーは、ポーランドでも白黒デザイン。
これも世界共通なのかなあ?
パトカーだけは、お世話になりたくないなあ。
日本で救急車には乗ったことがあるけど…。



