2008年08月29日
首都タシケントで不幸が襲う~熱砂の国ウズベキスタン(7)
午後1時、なんとか首都タシケントにたどり着いた。
ところが、小泉首相のタシケント訪問とモロにバッティング。
いたるところ厳しい警戒線が張り巡らされ、立ち入り禁止ゾーンも設けられている。
行きたいところにもいけず、観光プランはかなり狂ってしまった。


【写真】首都タシケントで、やたらと目に付いた小泉首相歓迎の大看板
まずはナヴォイ・オペラ劇場へ。
1947年、旧ソ連に連行された日本兵たちの強制労働により建設された。
1966年にタシケントを襲った大地震にもびくともしなかった。
ウズベキスタンで日本人が歓迎されるのは、日本兵の血と汗に起因しているのだろうか。

【写真】日本兵たちの強制労働により建設されたナヴォイ・オペラ劇場
ウズベキスタン工芸博物館も見逃せないスポットだ。
1907年に建てられたロシア公使私邸を転用したもの。
陶芸、レリーフ、刺繍、絨毯…この国の伝統工芸品が一堂に展示されている。
中庭には巨大なポプラが大きく枝を広げており、涼風が旅の疲れを癒してくれた。

【写真】ウズベキスタン工芸博物館中庭。大きなポプラの木陰が、旅の疲れを癒してくれる
どんな国に出かけても、必ず訪ねるスポットがある。
それは市場(バザール)だ。
そこに並ぶ物資を見れば、その国の豊かさがはかられる。
タシケント最大のバザールがチョルスー・バザールだ。

【写真】青いドームが印象的なチョルスー・バザール
ウズベキスタンの「色」とも言える青いドーム。
東京ドームに匹敵するスペースに、無数の店舗がひしめいている。
農産物をメーンに、日用品もうず高く積まれている。
売り子の威勢のいい声が響き、ウズベクの人たちのパワーを感じることができた。

【写真】雑多な店舗がひしめくバザール。慣れない異邦人は迷子になりそう
帰国前日、ヤワな日本人を襲った不幸とは…。
それは下痢。昼食を食べ終えたあと、突然に始まった。
日本から持参の特効薬を服用したが、たいした効き目はなかった。
2~3時間ごとに1回、トイレに駆け込む羽目に。
特に思い当たる節はない。
灼熱の太陽が、ボデーブローのように体力を奪っていったのか。、
ウズベキスタンのトイレ事情は極めて悪い。不測の事態に備えるため、遠出は断念した。
強制連行された日本兵が眠る日本人墓地も、その一つだ。
不幸はこれだけに終わらなかった。
下痢のため注意が散漫になっていたのだろう。デジタルカメラをトイレに落としてしまった。
カメラは昇天、撮影データも消失。タシケントの写真が極端に少ないのは、そのためだ.。
あ~あ、われ老いぼれたり!!
☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ~第7回☆
サマルカンドの民族食レストランでテーブルに並べられていた生野菜です。赤いのはトマトですが、でっかいグリーンの野菜は何でしょうか?
<第6回の回答>正解は(4)。フィンランドの大手電気通信メーカー「ノキア」の製品でした。 残念ながら、日本製にはお目にかかりませんでした。
ところが、小泉首相のタシケント訪問とモロにバッティング。
いたるところ厳しい警戒線が張り巡らされ、立ち入り禁止ゾーンも設けられている。
行きたいところにもいけず、観光プランはかなり狂ってしまった。
【写真】首都タシケントで、やたらと目に付いた小泉首相歓迎の大看板
まずはナヴォイ・オペラ劇場へ。
1947年、旧ソ連に連行された日本兵たちの強制労働により建設された。
1966年にタシケントを襲った大地震にもびくともしなかった。
ウズベキスタンで日本人が歓迎されるのは、日本兵の血と汗に起因しているのだろうか。
【写真】日本兵たちの強制労働により建設されたナヴォイ・オペラ劇場
ウズベキスタン工芸博物館も見逃せないスポットだ。
1907年に建てられたロシア公使私邸を転用したもの。
陶芸、レリーフ、刺繍、絨毯…この国の伝統工芸品が一堂に展示されている。
中庭には巨大なポプラが大きく枝を広げており、涼風が旅の疲れを癒してくれた。
【写真】ウズベキスタン工芸博物館中庭。大きなポプラの木陰が、旅の疲れを癒してくれる
どんな国に出かけても、必ず訪ねるスポットがある。
それは市場(バザール)だ。
そこに並ぶ物資を見れば、その国の豊かさがはかられる。
タシケント最大のバザールがチョルスー・バザールだ。
【写真】青いドームが印象的なチョルスー・バザール
ウズベキスタンの「色」とも言える青いドーム。
東京ドームに匹敵するスペースに、無数の店舗がひしめいている。
農産物をメーンに、日用品もうず高く積まれている。
売り子の威勢のいい声が響き、ウズベクの人たちのパワーを感じることができた。
【写真】雑多な店舗がひしめくバザール。慣れない異邦人は迷子になりそう
帰国前日、ヤワな日本人を襲った不幸とは…。
それは下痢。昼食を食べ終えたあと、突然に始まった。
日本から持参の特効薬を服用したが、たいした効き目はなかった。
2~3時間ごとに1回、トイレに駆け込む羽目に。
特に思い当たる節はない。
灼熱の太陽が、ボデーブローのように体力を奪っていったのか。、
ウズベキスタンのトイレ事情は極めて悪い。不測の事態に備えるため、遠出は断念した。
強制連行された日本兵が眠る日本人墓地も、その一つだ。
不幸はこれだけに終わらなかった。
下痢のため注意が散漫になっていたのだろう。デジタルカメラをトイレに落としてしまった。
カメラは昇天、撮影データも消失。タシケントの写真が極端に少ないのは、そのためだ.。
あ~あ、われ老いぼれたり!!
☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ~第7回☆
サマルカンドの民族食レストランでテーブルに並べられていた生野菜です。赤いのはトマトですが、でっかいグリーンの野菜は何でしょうか? <第6回の回答>正解は(4)。フィンランドの大手電気通信メーカー「ノキア」の製品でした。 残念ながら、日本製にはお目にかかりませんでした。
2008年08月26日
あ~あ、小泉首相とバッティング~熱砂の国ウズベキスタン(6)
旅先では、時計の針が早く動いているのか。
ウズベキスタンの日々も、はや6日。
そろそろ帰国の準備を始める時だ。
ここブハラから首都タシケントへ戻るにはどうすればいいのか。
この2都市、直線距離で約400キロも離れている。
長距離バスだと15時間はかかる。夜行特急列車でも10時間の長旅だ。
運賃は高いが、やはり飛行機が早くて便利だ。
小型プロペラ機が1日1往復している。

【写真】日本・ウズベキスタン首脳会談をトップで報じるウズベキスタン紙。ちなみに当時は小泉さん
ブハラ発は午前10時。これなら、午前中にタシケントに戻ることができる。
24人乗り小型機、かなりの年代物だ。
やや不安を覚えながら、機中の人となった。
わが身を守るシートベルトすら、ちゃんと装着できない。
定刻の10時を過ぎても、飛行機は動かない。
むき出しのコックピット、パイロットが管制官と盛んに交信を繰り返している。
10時20分、客室乗務員が飛行機から降りるように促し始めた。
なぜかは分からぬが、「タシケント空港が閉鎖された」らしい。

【写真】こじんまりしたブハラ空港。もちろん空港内は撮影禁止だ
重い荷物を背負い、とぼとぼ搭乗待合室にUターン。
「なぜタシケント空港が閉鎖されたの?」
恐る恐る、地上係員に尋ねた。
「コイズミ首相がサマルカンドから飛行機で到着するからだよ」
「もう、なんでこんな時に…」とは思ったが、ひたすら待つしかない。
日本と違って空港内を自由に歩け回れるわけではない。
コーヒースタンドがあるわけでもない。
固いベンチに座って、ひたすら時間を過ごす。

【写真】リアス式海岸のように水際が後退した湖。緑は見当たらない

【写真】機内食。テーブルがないので、ひざの上に置いて慌しくかきこんだ
再搭乗のアナウンスがあったのは午前11時半。
小型機は何事もなかったように滑走路を走り出し、真っ青な空に舞い上がった。
水平飛行に移ると、機内食が配られた。パンとジュースとおつまみ、シンプルなものだ。、
狭い機内、テーブルもない。ひざの上に置いて、喉の渇きを癒した。
狭い窓から地上を見下ろすと、赤茶けた沙漠が広がっている。
人間の営みは全く見当たらない。
乾季のためか湖は後退し、湖底がむき出しになっている。
午後1時、タシケント空港に無事ランディング。

【写真】タシケント国際空港。エプロンには、青い機体のウズベキスタン航空機がひしめいていた
写真撮影は禁止されているが、機内からこっそりシャッターを押した。
ブルーのウズベキスタン航空機がずらりと翼を休めている。
外国の航空機が一機だけ視界に入った。
尾翼に日の丸、それが小泉首相専用機だった。
☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ~第6回☆
ブハラで出会ったサッカー少年の一人が手にしていた携帯電話。メンバーのうち携帯電話を持っているのは彼だけのよう。さてこの携帯電話は、どこの国の製品でしょう。
(1) 日本
(2) 韓国
(3) ロシア
(4) フィンランド
(5) スペイン
(6) その他
<第5回の回答>正解はトイレ使用後に使う水です。水洗トイレはホテルや高級レストランを除いて、ほとんど普及していません。雨水とか生活廃水を貯めておいて、ペットボトルに詰めるようです。
ウズベキスタンの日々も、はや6日。
そろそろ帰国の準備を始める時だ。
ここブハラから首都タシケントへ戻るにはどうすればいいのか。
この2都市、直線距離で約400キロも離れている。
長距離バスだと15時間はかかる。夜行特急列車でも10時間の長旅だ。
運賃は高いが、やはり飛行機が早くて便利だ。
小型プロペラ機が1日1往復している。
【写真】日本・ウズベキスタン首脳会談をトップで報じるウズベキスタン紙。ちなみに当時は小泉さん
ブハラ発は午前10時。これなら、午前中にタシケントに戻ることができる。
24人乗り小型機、かなりの年代物だ。
やや不安を覚えながら、機中の人となった。
わが身を守るシートベルトすら、ちゃんと装着できない。
定刻の10時を過ぎても、飛行機は動かない。
むき出しのコックピット、パイロットが管制官と盛んに交信を繰り返している。
10時20分、客室乗務員が飛行機から降りるように促し始めた。
なぜかは分からぬが、「タシケント空港が閉鎖された」らしい。
【写真】こじんまりしたブハラ空港。もちろん空港内は撮影禁止だ
重い荷物を背負い、とぼとぼ搭乗待合室にUターン。
「なぜタシケント空港が閉鎖されたの?」
恐る恐る、地上係員に尋ねた。
「コイズミ首相がサマルカンドから飛行機で到着するからだよ」
「もう、なんでこんな時に…」とは思ったが、ひたすら待つしかない。
日本と違って空港内を自由に歩け回れるわけではない。
コーヒースタンドがあるわけでもない。
固いベンチに座って、ひたすら時間を過ごす。
【写真】リアス式海岸のように水際が後退した湖。緑は見当たらない
【写真】機内食。テーブルがないので、ひざの上に置いて慌しくかきこんだ
再搭乗のアナウンスがあったのは午前11時半。
小型機は何事もなかったように滑走路を走り出し、真っ青な空に舞い上がった。
水平飛行に移ると、機内食が配られた。パンとジュースとおつまみ、シンプルなものだ。、
狭い機内、テーブルもない。ひざの上に置いて、喉の渇きを癒した。
狭い窓から地上を見下ろすと、赤茶けた沙漠が広がっている。
人間の営みは全く見当たらない。
乾季のためか湖は後退し、湖底がむき出しになっている。
午後1時、タシケント空港に無事ランディング。
【写真】タシケント国際空港。エプロンには、青い機体のウズベキスタン航空機がひしめいていた
写真撮影は禁止されているが、機内からこっそりシャッターを押した。
ブルーのウズベキスタン航空機がずらりと翼を休めている。
外国の航空機が一機だけ視界に入った。
尾翼に日の丸、それが小泉首相専用機だった。
☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ~第6回☆
ブハラで出会ったサッカー少年の一人が手にしていた携帯電話。メンバーのうち携帯電話を持っているのは彼だけのよう。さてこの携帯電話は、どこの国の製品でしょう。(1) 日本
(2) 韓国
(3) ロシア
(4) フィンランド
(5) スペイン
(6) その他
<第5回の回答>正解はトイレ使用後に使う水です。水洗トイレはホテルや高級レストランを除いて、ほとんど普及していません。雨水とか生活廃水を貯めておいて、ペットボトルに詰めるようです。
2008年08月21日
遺跡の宝石箱ブハラ~熱砂の国ウズベキスタン(5)
2500年の歴史を秘める古代都市ブハラ。
1220年、ジンギス・ハーンの来襲で灰燼(かいじん)に帰す。
16世紀に入って不死鳥のように蘇り、絶頂を迎える。
歴史の荒波にもまれた古代都市。旧市街が丸ごと世界遺産に指定されている。

【写真】歴代ブハラ・ハーンの居城アルク城。正門は往時の姿をとどめている

【写真】アルク城の城壁。高くて険しい。なだらかな曲線が美しい

【写真】正門見晴らし台から見たブハラ旧市街。景観保護のため、高層ビルの建築は制限されている
ここブハラで救いの神が現れた。
宿泊したホテル「ブハラ・パレス」にサウナがあったのだ。
筋肉痛の両足をしっかりマッサージ。
翌朝、すっかり痛みが引いていたのだ。
ブハラ旧市街は広い。徒歩で丸1日かけてめぐるつもりだ。
スタートは歴代ブハラ・ハーン(王)の居城アルク城。
でっかいお城、文字通り「歩く城」だ。
入場料は2000スム(約200円)だが、写真撮影料として1000スムもとられる。
城門をくぐると、まず目に入ってくるのが地下牢だ。
暗くて狭い地下牢。不気味さが募る。
そこを抜けると、光が乱舞する大広間が姿を現す。
暗と明、ハーンの権力を見せ付ける巧みな演出だ。
アルク城は破壊と建設を繰り返した。
最もダメージを受けたのは1920年、ロシア赤軍の攻撃だった。
情け容赦ない砲撃により、かなりの部分が崩壊した。
現在の城は往時の3分の1に過ぎず、レンガの残骸が今もあちこちに積み上げられている。

【写真】1127年に建造されたカラーン・ミナレットとカラーン・モスク


【写真左】ミナレットは14層にわたって美しく装飾されている
【写真右】 青いドーム。文字をデザインしたモザイクタイルが印象的だ
第二のターゲットはカラーン・ミナレットだ。
強い日差しを浴びながら、旧市街をぶらぶら歩く。
くねくね曲がった細い路地。商店や食堂がびっしり軒を連ねる。
やがて、青空にそびえるミナレットが視界に入ってきた。
1127年に建造されたブハラのシンボル。
高さ48メートル、14層の帯で装飾された美しいミナレットだ。
14世紀にブハラを壊滅させた大地震にも耐え、ブハラの興亡を見守ってきた。
紺碧の空に生える紺碧のドームが印象的だ。
もちろん、このミナレットも上ることが出来る。
勇躍、入り口に向かう。なんと、鎖で厳重に封鎖されているではないか。
そこには、ウズベク語と英語で書かれた看板。
「工事中。立ち入り禁止」。ああ無情!!

【写真】胡桃の柱が20本も並ぶテラスが印象的なバラハウズ・モスク。18世紀の建造だ

【写真】中央アジア最古、10世紀に建造されたイスラム建築イスマイール・サーマーニー廟

【写真】預言者ヨブにちなむチャシュマ・アイユブ。泉からは今も水が湧き出ている
ブハラ・ハーン専用のバラハウズ・モスク。
中央アジア最古のイスラム建築イスマイール・サーマーニー廟。
預言者ヨブの泉が今も残るチャシュマ・アイユブ(ヨブの泉)。
宝箱のように歴史的建造物が点在しているブハラ。
ところが、これらは徒歩でしか巡れない。
世界遺産保護のため、車の乗り入れが制限されているからだ。
真夏の太陽は無慈悲だ。やわな日本人の体力をどんどん奪ってゆく。
これが帰国前日の不幸につながるとは、この時点では想像すら出来なかった。
☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ~第5回☆
タシケントのレストラン、裏口にペットボトル(封は切ってあるが、水らしきもが入っている)が置いてありました。さあ、これは何に使うのでしょうか。
<第4回の回答>正解は5のその他です。見た目はレモンですが、味も香りもレモンではありませんでした。フルーツの鬼の異名をとる同行者も「?」。
1220年、ジンギス・ハーンの来襲で灰燼(かいじん)に帰す。
16世紀に入って不死鳥のように蘇り、絶頂を迎える。
歴史の荒波にもまれた古代都市。旧市街が丸ごと世界遺産に指定されている。
【写真】歴代ブハラ・ハーンの居城アルク城。正門は往時の姿をとどめている
【写真】アルク城の城壁。高くて険しい。なだらかな曲線が美しい
【写真】正門見晴らし台から見たブハラ旧市街。景観保護のため、高層ビルの建築は制限されている
ここブハラで救いの神が現れた。
宿泊したホテル「ブハラ・パレス」にサウナがあったのだ。
筋肉痛の両足をしっかりマッサージ。
翌朝、すっかり痛みが引いていたのだ。
ブハラ旧市街は広い。徒歩で丸1日かけてめぐるつもりだ。
スタートは歴代ブハラ・ハーン(王)の居城アルク城。
でっかいお城、文字通り「歩く城」だ。
入場料は2000スム(約200円)だが、写真撮影料として1000スムもとられる。
城門をくぐると、まず目に入ってくるのが地下牢だ。
暗くて狭い地下牢。不気味さが募る。
そこを抜けると、光が乱舞する大広間が姿を現す。
暗と明、ハーンの権力を見せ付ける巧みな演出だ。
アルク城は破壊と建設を繰り返した。
最もダメージを受けたのは1920年、ロシア赤軍の攻撃だった。
情け容赦ない砲撃により、かなりの部分が崩壊した。
現在の城は往時の3分の1に過ぎず、レンガの残骸が今もあちこちに積み上げられている。
【写真】1127年に建造されたカラーン・ミナレットとカラーン・モスク
【写真左】ミナレットは14層にわたって美しく装飾されている
【写真右】 青いドーム。文字をデザインしたモザイクタイルが印象的だ
第二のターゲットはカラーン・ミナレットだ。
強い日差しを浴びながら、旧市街をぶらぶら歩く。
くねくね曲がった細い路地。商店や食堂がびっしり軒を連ねる。
やがて、青空にそびえるミナレットが視界に入ってきた。
1127年に建造されたブハラのシンボル。
高さ48メートル、14層の帯で装飾された美しいミナレットだ。
14世紀にブハラを壊滅させた大地震にも耐え、ブハラの興亡を見守ってきた。
紺碧の空に生える紺碧のドームが印象的だ。
もちろん、このミナレットも上ることが出来る。
勇躍、入り口に向かう。なんと、鎖で厳重に封鎖されているではないか。
そこには、ウズベク語と英語で書かれた看板。
「工事中。立ち入り禁止」。ああ無情!!
【写真】胡桃の柱が20本も並ぶテラスが印象的なバラハウズ・モスク。18世紀の建造だ
【写真】中央アジア最古、10世紀に建造されたイスラム建築イスマイール・サーマーニー廟
【写真】預言者ヨブにちなむチャシュマ・アイユブ。泉からは今も水が湧き出ている
ブハラ・ハーン専用のバラハウズ・モスク。
中央アジア最古のイスラム建築イスマイール・サーマーニー廟。
預言者ヨブの泉が今も残るチャシュマ・アイユブ(ヨブの泉)。
宝箱のように歴史的建造物が点在しているブハラ。
ところが、これらは徒歩でしか巡れない。
世界遺産保護のため、車の乗り入れが制限されているからだ。
真夏の太陽は無慈悲だ。やわな日本人の体力をどんどん奪ってゆく。
これが帰国前日の不幸につながるとは、この時点では想像すら出来なかった。
☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ~第5回☆
タシケントのレストラン、裏口にペットボトル(封は切ってあるが、水らしきもが入っている)が置いてありました。さあ、これは何に使うのでしょうか。<第4回の回答>正解は5のその他です。見た目はレモンですが、味も香りもレモンではありませんでした。フルーツの鬼の異名をとる同行者も「?」。
2008年08月18日
シャフリサーブスのおのぼりさん~熱砂の国ウズベキスタン(4)
【写真】かつては壮麗なアーチだったアク・サライ宮殿正門。左側の塔に上ることができる
人間は、なぜ高いところにのぼるのか。
自由に大空を飛びまわれる鳥にあこがれるのか。
登山家は「そこに山があるから」、命をかけても山に登る。
観光客は「そこに塔(タワー)があるから」、お金を払っても上るのだ。
ウズベキスタンの古都シャフリサーブス。
もう100キロも南下すれば、そこはアフガン国境だ。
ティムール王が建設した世界遺産アク・サライ宮殿。
帝国の内乱で破壊され、正門と2本の塔のみが繁栄の片りんを今に伝えている。
【写真】 塔頂から望む宮殿跡の広場。写真奥に見えるのがティムールの銅像
午後2時過ぎ、気温は50度近い。
一休みしようと、正門の日陰に入った。そこに、長いあごひげのおじさんがいた。
らせん階段を指差し、ウズベク語で何かしゃべっている。
「どうだい、塔に上ってみないかい」。たぶん、そう言っているのだろう。
ここで、引いては日本男児の名がすたる。筋肉痛だなんて言ってはおれない。
2000スム(約200円)払って、階段を上り始めた。
筋肉痛の足、思ったように上がらない。時折り、痛みでぶるぶる震える。
階段の数を数えていたが、100段を超えたところで意識から消え去った。
【写真】記念撮影する家族連れ。手すりがぐらぐらするのだが平気な様子
はうようにして、塔の頂上にたどり着いた。
ぐるり360度、パノラマが広がる。写真を撮ろうと、手すりに手をかけた。
すると…。手すりが大きくかしいだ。しっかり固定されていないのだ。
ここから落ちたら木っ端微塵、吹き出た汗が一瞬に引いた。
アク・サライ宮殿跡ほぼ中央にティムール王の銅像が建っている。
炎天下なのに、着飾った人たちで大賑わい。
ウエディングドレスの花嫁さんも数人いる。
新聞記者として見逃すわけには行かない。駆け寄って取材を始めた。
【写真】ウズベキスタン建国の父ティムールの銅像
【写真】親族を引き連れ結婚の報告に来たカップル。日曜日のせいか、数組がはちあわせ
会話は片言の英語と身振り手振り。なんとか聞き出したところによると…。
新婚カップルは、ティムールに結婚の報告をするしきたりがあるらしい。
それでなくとも陽気なウズベクの人たち。アルコールも入って上機嫌だ。
ドサクサにまぎれてシャンパンをご馳走になった。ラッキー!!
【写真】シャフリサーブスに残る壮麗な建築群
【写真】ドーム内部のモザイクは精緻で美しい
シャフリサーブスにはティムールゆかりの遺跡も多く残されている。
ティムールの父が眠るドルッティロヴァット建築群。
ティムールが葬られるはずだったドルッサオダット建築群。
紺碧の空に映える青いドーム。繊細なデザイン、精緻な美…見飽きることはない。
☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ~第4回☆
日本では見かけない白いファンタ。さあ、これは何味なのでしょう。ズバリお答えください。(1) 砂糖水
(2) レモン
(3) マンゴー
(4) キャベツ
(5) その他
<第3回の回答>正解はメロンでした。熱砂の国ですが、冷蔵庫は普及していません。野菜や果物を乾燥させて保存するのは、歴史に培われた生活の智恵なのです。
2008年08月13日
紺碧のタイル、紺碧の空~熱砂の国ウズベキスタン(3)
600年の歴史に耐えた、壮麗なイスラム建築群。
ウズベキスタンが世界に誇る世界遺産「サマルカンド」だ。
腹が減っては観光はできぬ。民族料理で、しっかり腹ごしらえ。
いざ、歴史探訪の始まり、始まり。
午後1時半、日陰でも気温は40度を超えている。
それでも、汗は噴き出さない。
湿度が10%以下だからだ。
じめじめした日本の夏より、過ごしやすいのかもしれない。

【写真】世界遺産レジキスタン広場。旧ソ連時代に深さ2メートルの砂が除かれ、現在の姿になった

【写真】420年に建造されたウルグベグ・メドレセ。右側のミナレットに上った
サマルカンドは、なぜ「青の都」といわれるのか。
それは、この写真を見れば納得していただけるだろう。
紺碧のタイルで彩られたドーム、真っ青な空に伸びるミナレット(尖塔)。
その代表的史跡がレジキスタン広場だ。
中央アジアに大帝国を築いた偉大なる王ティムール。
その孫ウルグベグ(1394~1449)が15世紀に築いたもの。
三つのメドレセ(神学校)が、四角い広場を囲むように並んでいる。
ミナレットは1000スム(約100円)払えば、だれでも上ることができる。
どうみても、高さは50メールもないだろう。ここまでやってきて、尻込みする道理はない。
それは、とんだ誤算だった。ミナレットは直径1メールもない。
当たり前のように、らせん階段は狭くて険しい。しかも真っ暗、ステップの幅は10センチもない。
しっかり足元を確かめないと、階段を踏み外してしまいそうだ。

【写真】ミナレット最上部からサマルカンドの街並みを一望。モヤがなければ天山山脈も望める

【写真】ティムール一族が眠るグリ・アムール廟。ドームの青さはサマルカンドでも随一だという
新聞記者的好奇心から、階段の数を数えながら上った。
50段までは楽勝だった。70段あたりから汗が噴き出してきた。息も切れ始めた。
100段を過ぎると、数える気力が失せた。
天上から光が差し込んできた。ミナレットの最上部にたどりついたのだ。
そこは天国だった。視界は、ぐるり360度。涼風が歓迎してくれる。
至福の時は長く続かない。「チャオ!!」。陽気なイタリアが語が日干し煉瓦の壁に響いた。
ビア樽のような男性が階段を上ってきた。最上部のスペースは一人分しかない。
このイタリア人と入れ替わりに、天国から地獄へ下りなければいけないのだ。
階段を踏み外すと地上まで一気に落下しそうだ。
壁に手をつき(手すりなどない)、足に力を入れ、階段を確かめるように一歩一歩下っていく。
また汗が噴き出した。かろうじて出口にたどり着いた。
塔番のおじさんが「やったね」とでも言いたいのか、親指をつき立てて迎えてくれた。


【写真左】アフラシャブの丘に広がるのがシャーヒズィンダ廟群のモスク
【写真右】天国への階段。階段の数は結局いくつなんだろう
サマルカンド郊外、アフラシャブの丘に広がるのがシャーヒズィンダ廟群だ。
14~15世紀の建造。ティムール王ゆかりの人々の霊廟が、斜面にほぼ一直線に並んでいる。
壮麗なアーチをくぐると、長くて高い階段が姿を現す。
「天国への階段」だ。
階段の数を数えながら上り、その数が帰りと同じだったら天国へ行けるという伝説がある。
息を弾ませながら数えた。103段だった。
でも、帰りはなぜか97段しかない。なぜだ!!
あ~あ、われは地獄に落ちるのか。

【写真】 天文台の跡。半円形アーチの中に六分儀がおかれていた

【写真】天文台資料館に残されていた落書き。いろんな国の言葉があった
アフラシャブの丘から北東に1キロ、チュパン・アタの丘に天文台の跡がある。
ウルグベク王が建設、1908年にロシア人考古学者によって発掘された。
ウルグベクは天体観測により1年間は365日6時間10分8秒と推測した。
今日の定説は365日6時間9分9・6秒。誤差は1分にも満たない。
翌朝、悲劇が襲った。予想はしていたことだが、激しい筋肉痛に襲われたのだ。
わが旅は始まったばかり。日ごろの運動不足の報いなのか。
さらなる悲劇が古都シャフリサーブスでも待っていることを、
このとき、善良なる旅人は知るよしもなかった。
☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ~第3回☆

サマルカンドのバザールで購入。特産のフルーツを乾燥させたもの。TBS系「世界ふしぎ発見」ウズベキスタン編でも出題され、黒柳徹子さんが正解を出していました。さあ、このフルーツはなんでしょう。ずばりお答えください。
<第2回の回答>爪楊枝入れでした。なぜハートマークなのかは、言葉の壁があり分かりませんでした。
ウズベキスタンが世界に誇る世界遺産「サマルカンド」だ。
腹が減っては観光はできぬ。民族料理で、しっかり腹ごしらえ。
いざ、歴史探訪の始まり、始まり。
午後1時半、日陰でも気温は40度を超えている。
それでも、汗は噴き出さない。
湿度が10%以下だからだ。
じめじめした日本の夏より、過ごしやすいのかもしれない。
【写真】世界遺産レジキスタン広場。旧ソ連時代に深さ2メートルの砂が除かれ、現在の姿になった
【写真】420年に建造されたウルグベグ・メドレセ。右側のミナレットに上った
サマルカンドは、なぜ「青の都」といわれるのか。
それは、この写真を見れば納得していただけるだろう。
紺碧のタイルで彩られたドーム、真っ青な空に伸びるミナレット(尖塔)。
その代表的史跡がレジキスタン広場だ。
中央アジアに大帝国を築いた偉大なる王ティムール。
その孫ウルグベグ(1394~1449)が15世紀に築いたもの。
三つのメドレセ(神学校)が、四角い広場を囲むように並んでいる。
ミナレットは1000スム(約100円)払えば、だれでも上ることができる。
どうみても、高さは50メールもないだろう。ここまでやってきて、尻込みする道理はない。
それは、とんだ誤算だった。ミナレットは直径1メールもない。
当たり前のように、らせん階段は狭くて険しい。しかも真っ暗、ステップの幅は10センチもない。
しっかり足元を確かめないと、階段を踏み外してしまいそうだ。
【写真】ミナレット最上部からサマルカンドの街並みを一望。モヤがなければ天山山脈も望める
【写真】ティムール一族が眠るグリ・アムール廟。ドームの青さはサマルカンドでも随一だという
新聞記者的好奇心から、階段の数を数えながら上った。
50段までは楽勝だった。70段あたりから汗が噴き出してきた。息も切れ始めた。
100段を過ぎると、数える気力が失せた。
天上から光が差し込んできた。ミナレットの最上部にたどりついたのだ。
そこは天国だった。視界は、ぐるり360度。涼風が歓迎してくれる。
至福の時は長く続かない。「チャオ!!」。陽気なイタリアが語が日干し煉瓦の壁に響いた。
ビア樽のような男性が階段を上ってきた。最上部のスペースは一人分しかない。
このイタリア人と入れ替わりに、天国から地獄へ下りなければいけないのだ。
階段を踏み外すと地上まで一気に落下しそうだ。
壁に手をつき(手すりなどない)、足に力を入れ、階段を確かめるように一歩一歩下っていく。
また汗が噴き出した。かろうじて出口にたどり着いた。
塔番のおじさんが「やったね」とでも言いたいのか、親指をつき立てて迎えてくれた。
【写真左】アフラシャブの丘に広がるのがシャーヒズィンダ廟群のモスク
【写真右】天国への階段。階段の数は結局いくつなんだろう
サマルカンド郊外、アフラシャブの丘に広がるのがシャーヒズィンダ廟群だ。
14~15世紀の建造。ティムール王ゆかりの人々の霊廟が、斜面にほぼ一直線に並んでいる。
壮麗なアーチをくぐると、長くて高い階段が姿を現す。
「天国への階段」だ。
階段の数を数えながら上り、その数が帰りと同じだったら天国へ行けるという伝説がある。
息を弾ませながら数えた。103段だった。
でも、帰りはなぜか97段しかない。なぜだ!!
あ~あ、われは地獄に落ちるのか。
【写真】 天文台の跡。半円形アーチの中に六分儀がおかれていた
【写真】天文台資料館に残されていた落書き。いろんな国の言葉があった
アフラシャブの丘から北東に1キロ、チュパン・アタの丘に天文台の跡がある。
ウルグベク王が建設、1908年にロシア人考古学者によって発掘された。
ウルグベクは天体観測により1年間は365日6時間10分8秒と推測した。
今日の定説は365日6時間9分9・6秒。誤差は1分にも満たない。
翌朝、悲劇が襲った。予想はしていたことだが、激しい筋肉痛に襲われたのだ。
わが旅は始まったばかり。日ごろの運動不足の報いなのか。
さらなる悲劇が古都シャフリサーブスでも待っていることを、
このとき、善良なる旅人は知るよしもなかった。
☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ~第3回☆

サマルカンドのバザールで購入。特産のフルーツを乾燥させたもの。TBS系「世界ふしぎ発見」ウズベキスタン編でも出題され、黒柳徹子さんが正解を出していました。さあ、このフルーツはなんでしょう。ずばりお答えください。
<第2回の回答>爪楊枝入れでした。なぜハートマークなのかは、言葉の壁があり分かりませんでした。
2008年08月03日
「青の都」をめざして~熱砂の国ウズベキスタン(2)
旅の第1夜は「タシケントパレスホテル」。
バルコニー付き、ゆったりした五つ星ホテルだ。
でっかいベッド、真っ白いシーツ。ためらう時間もなく、眠りに落ちる。
翌朝午前6時、モーニングコールが鳴り響く。目覚めは心地よい。


【写真】タシケントパレスホテル。中庭にはプールもあった
朝食バイキングで腹ごしらえ、まずは古都サマルカンドをめざす。
サマルカンドはタシケントから南西へ約300キロ。
体力自慢の若者なら長距離バスガオススメ。
でも、ミーハーな旅人は鉄道が早くて便利だ。

【写真】大理石造りの豪華なタシケント駅。人の出入りも少なく、ひっそりしていた
宮殿かと思った。豪奢な石造建築。緑豊かな前庭。
大ホールは吹き抜け、光輝くシャンデリア。それが国鉄タシケント駅だった。
カメラを取り出すと、警備員(警察官?)が飛んできた。
どうやら写真撮影は禁止されている。旧ソ連時代の悪弊は、なお健在のようだ。

【写真】タシケント発ブハラ行き特急列車。10両編成で、1号車は食堂車だった
広いホームに青と白、ツートンカラーの列車が止まっていた。
サマルカンド経由ブハラ行きの特急列車だ。
乗降口には制服姿の女性乗務員。
乗車券を見せると、にこやかに席まで案内してくれた。

【写真】 女性乗務員。制服は列車と同じカラー
客車はヨーロッパではおなじみのコンパートメントスタイル。
1両にコンパートメントが10。1コンパートメントは6席。
乗車券には手書き文字で「4-6」「4-6」と書かれている。
4号車、6番目のコンパートメントということだろう。

【写真】左側がコンパートメント。ガラスドアで仕切られている
ゆったりしたコンパートメント。ふんわりしたリクライニングシート。
中央にはテーブルがあり、急須と湯飲みが置かれている。
英語の観光ガイド誌も置かれていた。
発車ベルも車内アナウンスもなく、列車は定刻の午前8時半、静かに動き出した。

【写真】コンパートメント内。向かい合わせに6席。中国の列車のように、急須と湯のみがセットされていた
ドアをノックする音がした。先ほどの女性乗務員だ。
にっこり微笑んで「飲み物はいかがですか」。
どうやら、無料サービスのようだ。
しばらくしてコーヒーが届いた。山盛りのパンも一緒だった。


【写真】コーヒー(ネスカフェ)と、かなり固いパンだった。サービスかと思ったら、降りる間際に代金を請求された
列車の旅は飽きることがない。
枯れた山、緑豊かな畑、人々の暮らしぶり…車窓の景色は多彩だ。
特急列車はノンストップで快走する。
午後0時半、アナウンスもなく列車は止まった。サマルカンド駅だった。

【写真】荒野を流れている川。真夏でも、水量は豊富だ
☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ~第2回☆
ウズベキスタン第2の都市サマルカンド。下町の民族料理レストランでハートマークがかわいい容器に出会いました(写真は一部修正)。さあ、これは何の容器でしょう。ずばりお答えください。
<第1回の回答>正解は(3)ウズベキスタンを構成する州の数でした。
バルコニー付き、ゆったりした五つ星ホテルだ。
でっかいベッド、真っ白いシーツ。ためらう時間もなく、眠りに落ちる。
翌朝午前6時、モーニングコールが鳴り響く。目覚めは心地よい。
【写真】タシケントパレスホテル。中庭にはプールもあった
朝食バイキングで腹ごしらえ、まずは古都サマルカンドをめざす。
サマルカンドはタシケントから南西へ約300キロ。
体力自慢の若者なら長距離バスガオススメ。
でも、ミーハーな旅人は鉄道が早くて便利だ。
【写真】大理石造りの豪華なタシケント駅。人の出入りも少なく、ひっそりしていた
宮殿かと思った。豪奢な石造建築。緑豊かな前庭。
大ホールは吹き抜け、光輝くシャンデリア。それが国鉄タシケント駅だった。
カメラを取り出すと、警備員(警察官?)が飛んできた。
どうやら写真撮影は禁止されている。旧ソ連時代の悪弊は、なお健在のようだ。
【写真】タシケント発ブハラ行き特急列車。10両編成で、1号車は食堂車だった
広いホームに青と白、ツートンカラーの列車が止まっていた。
サマルカンド経由ブハラ行きの特急列車だ。
乗降口には制服姿の女性乗務員。
乗車券を見せると、にこやかに席まで案内してくれた。
【写真】 女性乗務員。制服は列車と同じカラー
客車はヨーロッパではおなじみのコンパートメントスタイル。
1両にコンパートメントが10。1コンパートメントは6席。
乗車券には手書き文字で「4-6」「4-6」と書かれている。
4号車、6番目のコンパートメントということだろう。
【写真】左側がコンパートメント。ガラスドアで仕切られている
ゆったりしたコンパートメント。ふんわりしたリクライニングシート。
中央にはテーブルがあり、急須と湯飲みが置かれている。
英語の観光ガイド誌も置かれていた。
発車ベルも車内アナウンスもなく、列車は定刻の午前8時半、静かに動き出した。
【写真】コンパートメント内。向かい合わせに6席。中国の列車のように、急須と湯のみがセットされていた
ドアをノックする音がした。先ほどの女性乗務員だ。
にっこり微笑んで「飲み物はいかがですか」。
どうやら、無料サービスのようだ。
しばらくしてコーヒーが届いた。山盛りのパンも一緒だった。
【写真】コーヒー(ネスカフェ)と、かなり固いパンだった。サービスかと思ったら、降りる間際に代金を請求された
列車の旅は飽きることがない。
枯れた山、緑豊かな畑、人々の暮らしぶり…車窓の景色は多彩だ。
特急列車はノンストップで快走する。
午後0時半、アナウンスもなく列車は止まった。サマルカンド駅だった。
【写真】荒野を流れている川。真夏でも、水量は豊富だ
☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ~第2回☆
ウズベキスタン第2の都市サマルカンド。下町の民族料理レストランでハートマークがかわいい容器に出会いました(写真は一部修正)。さあ、これは何の容器でしょう。ずばりお答えください。<第1回の回答>正解は(3)ウズベキスタンを構成する州の数でした。



