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<title>T上司きまぐれ世界漫遊</title>
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<description>三度の飯より旅が好き。ヨーロッパに足跡をしるしたのは３５年も前。それからオセアニア、南北アメリカ、アフリカ、中東と巡り巡って、きままな旅人生。夏のリビアでは摂氏５０度、冬のアラスカではマイナス４０度も体験。さて、次なる旅のターゲットは…。</description>
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<pubDate>Thu, 08 Nov 2007 16:22:16 +0900</pubDate>
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<title>さようなら、思い出の地よ～熱砂の国ウズベキスタン（１８）</title>
<description>なぜか、旅の終わりは下痢と友達になる。２００５年リビアの旅がそうだった。トリポリからドバイを経由し関空まで、トランジットを入れると２６時間、地獄の苦しみだった。２００６年ウズベキスタンの旅も例外ではなかった。唯一の救いは、タシケント－成田のフライトが８時間と短いことだった。  【写真】１回目の機内食。ローストビーフとライスカレー。｢フィッシュ｣はローストビーフが鮭のソテーに変わるタシケント空港出発は午後２時。食事を取らず、ウズベキスタン航空機に乗り込む。お酒のサービスはパス。離陸から１時間半後、１回目の機内食が配られた。ビーフかフィッシュか、一応選べる。こんな体調でも、なぜかビーフを選んでしまう。ローストビーフ１枚とスポンジケーキを食べておく。薬が効いたのか、それとも節制の効果か。体調に異常は見られない。【写真】 ウズベキスタン機、最後の機内食。チーズサンドとパイナップル、ドリンクとシンプルだった ２回目の機内食は、それから５時間半後。体調が良くても、そんなに食べられるものではない。コーヒーだけ飲んで、いよいよ日本領空だ。午後６時、成田空港に無事ランディングした。  【写真】役目を終えた航空券とパスポート。マイレージサービスは実質ない  ２時間のトランジット（法律上は国外）。スタバのコーヒーで時間をつぶす。午後８時、再び同じウズベキスタン機に乗り込む。関西国際空港に戻ったのは午後９時過ぎだった。５０度近い暑さがこたえたのか、年齢のせいなのか。なぜか下痢の神様に取り付かれてしまう。でも、旅はこれで終わりではないのだ。翌日は仕事で京都に行かねばならないのだ。【写真】京都駅前にある京都タワー 。１週間ぶりに雲を見た【写真】京都新聞社から望む東山一帯。正面がおなじみの大文字山空港島内にあるホテルで一夜を過ごす。広島に戻る同行者と別れ、関空特急｢はるか｣で一路京都へ。８時間の仕事をこなし、広島に戻ったのは午後９時過ぎ。長い長い旅も、やっと大団円を迎えたのであった。※連載｢ウズベキスタンの風に誘われ｣は、これで終了します。長期間にわたるご愛読、ありがとうございました。＜Ｔ上司ランチ漫遊もヨロシク！！＞</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Thu, 02 Oct 2008 17:00:00 +0900</pubDate>

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<title>とかく移動は大変だ～熱砂の国ウズベキスタン（１７）</title>
<description>外国で大変なのが、ちょこまちょこま街中で移動する時だ。バス、トラム（路面電車）、タクシー、乗り合いタクシー…移動手段はいろいろ。でも、ウズベク語がしゃべれない観光客はどうすればいいのか。   【写真】サマルカンドのタクシー。韓国メーカー｢大宇｣が現地生産している【写真】 乗り合いタクシー。路線は決まっているが、乗降はどこでもＯＫ【写真】 路線バス。ワンマンではなく、車掌も乗車している バスやトラム、これは使いづらい。英語表記がないので、どこで降りたらいいのかさっぱり分からない。となると、観光客の頼りはタクシーだ。東南アジアではどこもそうだが、これが意外に厄介なのだ。タクシーなのに、メーターがついていない。観光客はボラれる確率が極めて高い。うかつに乗り込むと、痛い目にあいそう。じゃあ、どうすればいいのか。ホテルやターミナルにはタクシーがたむろしている。でも、すぐに乗り込んではいけない。行き先を告げ、まずは料金交渉。言葉の壁もあり、｢定価｣に慣れた日本人にはとても厄介なのだ。たいていのところは２～３ドルもあればＯＫ。まあボラれたとしても、大した金額ではない。でも安々と妥協すると、日本人全体が甘く見られてしまう。心を鬼にしても、きちんと交渉しなければならない。【写真】赤信号でも平気で進むバスやタクシー 【写真】幅２０メートルもある大レリーフが飾られた地下鉄出入り口。ここまでは撮影OKだ 首都タシケントには地下鉄も走っている。３路線が東西南北、都心を貫くように走っている。乗車料金は１５０スム（約１５円）とベラボウに安い。しかも、改札口を出ない限り、乗り放題だ。自動販売機に１５０スムを入れると、ジェトンと呼ばれるプラスチックのコインが出てくる。これを自動改札機に入れると、回転式のバーが動いてホームに入れる。（旧）共産圏の地下鉄はどこも豪華だ。タシケントの地下鉄も例外ではない。宮殿を思わせる豪奢な大理石造り、壁には精密なレリーフがびっしり。でも、なぜか心休まらない。眼光鋭い警備員がいるからだろうか。カメラを取り出すと、すぐに飛んでくる。空港・鉄道駅と並んで、地下鉄も重要機密として位置づけられているのだろう。☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第１６回回答☆(３)公衆電話でした。＜Ｔ上司ランチ漫遊もヨロシク！！＞</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Wed, 01 Oct 2008 17:08:35 +0900</pubDate>

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<title>よく働き、よく学び、よく遊ぶ～熱砂の国ウズベキスタン（１６）</title>
<description>よく働き、よく学び、よく遊ぶ。洋の東西を問わず。普遍の真理だ。ウズベキスタンでは、テレビゲームなど電子ゲームとは無縁の地。昭和２０～３０年代の日本をほうふつとさせる光景に出会った。【写真】塗装も剥げ落ちた古ぼけた三輪車サマルカンド郊外のコルホーズ（集団農場）。一人の少年が古びた三輪車を持ち出してきた。５、６歳くらいか。三輪車に乗る年齢は、とっくに過ぎている。昔は自分が使っていたが、今は弟か妹に譲ったものだろう。カメラを向けると、日焼け顔が微笑んだ。【写真】こちらは最新のマウンテンバイクでさっそうと… 世界遺産ブハラ旧市街。サーマーニー公園は緑豊かな公園だ。マウンテンバイクにまたがり、得意そうな表情をみせる少年。自転車さえ、ほとんど見かけない。マウンテンバイクは、かなり高価なのだろう。何度も行き来し、ポーズを決めてくれた。【写真】ブハラの遊園地。観覧車もジェットコースターもあった サーマーニー公園には｢遊園地｣があった。観覧車、回転木馬、滑り台、ブランコ…。ジェットコースターらしき遊具も。午前１０時過ぎだったが、どれも動いてはいなかった。【写真】強い風に乗り、空高く舞う凧を見上げるこどもたち。 ブハラ旧市街。こどもたちが広場で凧揚げに興じていた。強い風に乗り、空高く舞う凧。四角い凧、長い足が２本。新聞紙を切り貼りしたもののようだ。なぜか、日本の凧とそっくりだ。｢凧揚げ、うまいね｣。背の高い少年に声をかけた。しきりに首をひねる少年。どうやら英語は通じないようだ。コミュニケーションを断念して、一緒に空を見上げる。時がゆっくり流れてゆく。これも旅の楽しみの一つだ。【写真】屋外でトランプに夢中の男の子。かたわらにはお茶の用意も６、７歳くらいの男の子２人、日陰でトランプに夢中だった。ぼろぼろのカード。キングもクイーンもすり減っている。しばらく眺めていたが、どんなルールか分からない。｢グッバイ｣。そう声をかけると、ゲームを中断して手を振ってくれた。【写真】バックギャモンに夢中の青年。近くの民芸品店で働いている とかすぐそばでは、青年２人がバックギャモンに興じていた。年季の入った木製ゲーム盤、手垢で黒光りしている。｢トランプは、こどものするものさ｣。白いタンクトップの青年は、真剣な表情でサイコロを振っていた。【写真】高さ４６メートルの｢カラーン・ミナレット｣。 写真の男は国際手配の容疑者かブハラのシンボル「カラーン・ミナレット」。怪しげな日本人旅行者と出会った。世界中で、日本人と出会わないエリアってあるんだろうか。気温は５０度近いのに、炎天下でも平気な様子。たぶん６０歳近いと思われるが、体調を壊さねばいいが…。同朋として心配になった。 ☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第１６回☆ 首都タシケント。繁華街の歩道に写真のようなボックスがありました。幅４メートル奥行きは２メートルくらい。さあ、このボックスは何をするところでしょう（写真は一部修正してあります)。（１）公衆トイレ（２）キヨスク（３）公衆電話（４）ネットカフェ（５）街頭シャワー（６）携帯ショップ（７）その他＜第１５回の回答＞大小さまざまな大砲の弾。岩石を磨いて、丸くしたものです。＜Ｔ上司ランチ漫遊もヨロシク！！＞</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Mon, 29 Sep 2008 18:00:00 +0900</pubDate>

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<title>大人たちも働きます～熱砂の国ウズベキスタン（１５）</title>
<description> もちろん、おとなたちも働いている。真夏の気温４５度。炎天下で汗だくになる人もいれば、冷房もない屋内で汗をかく人もいる。観光客を相手に、生活の糧を得る人たちもいる。【写真】精巧な金属細工。見本など見ないで、黙々と掘り進んでいる 古都ブハラ。バザールの一角で金属細工に打ち込む若者がいた。鋭い彫刻刃を操り、金属プレートに繊細な模様を刻んでゆく。｢１日に３枚仕上げるのがやっとだね｣。手も休めず答えてくれた。それでいて、売り値は１枚１万スム（約１０００円）。余りに低い評価に歎息あるのみ。【写真】素朴な釜でナンを焼くコルホーズの若い女性サマルカンド郊外のコルホーズ（集団農場）。ちょうどお昼時、若い女性がナンを焼いていた。日干し煉瓦で組み上げた素朴な釜。薪の熱が容赦なく襲ってくる。噴き出す汗を拭いながら、焼きあがったナンを手渡してくれた。｢ラフマト（ありがとう）｣。ウズベク語でお礼を言うと、黒い瞳が明るく輝いた。【写真】 手作業で細々。モスクのタイルを補修する職人たち 日干し煉瓦の上に青いタイルを貼り付けたモスク。サマルカンドが｢青の都｣とたたえられる由縁だ。でも間近でみると、タイルはぼろぼろ剥げ落ちている。修復は手作業で細々。世界遺産を守る苦労を思い知らされた。【写真】ブハラ旧市街のアルク城。王様の衣装をまとったウズベク人 １９９１年、旧ソ連から独立を果たしたウズベキスタン。文明の十字路と呼ばれ、壮麗なモスクなど世界遺産も多い。ヨーロッパを筆頭に、観光客は増えつつある。そこで、観光客をターゲットにした商売も繁盛している。ブハラ旧市街、壮大なスケールのアルク城。王様・王女様の衣装をまとって、はいポーズ。カメラは観光客のもの。元手入らず、２０００スム（約２００円）のもうけ。なんとも楽な商売もあったものだ。【写真】自作の伝統楽器を演奏する。有名な奏者らしい バザールの民族楽器店には、１人３役のスーパーおじちゃんがいた。自ら楽器を作り、自ら販売し、自ら演奏する。プーチン・ロシア大統領に演奏を披露したことが自慢。写真が大きく載ったロシア文字の新聞を、大事そうに見せてくれた。【写真】カラフルな民族衣装で、さまざまな舞を披露する女性たち 【写真】小顔で長身、すらりとしたロシア系ファッションモデル  ブハラ、夜のお楽しみはディナーショーだ。ステージは古い修道院の中庭。昼間の炎熱地獄がうそのような、涼風が吹き渡る。民族舞踊とファッションショーの二本立て。ユニークな構成だ。食事とドリンクがついて一人２万スム(２０００円)の豪華版。貨幣価値を考えると、実質１万円くらいにはなりそう。エキゾチックな顔立ちのウズベク系の踊り子さん。すらり長身のロシア系ファッションモデル。食事を終えて外に出ると、普段着に着替えたモデルたちがたむろしていた。もちろん、すぐに話しかけた。彼女たちは、ほとんどが大学生。学資稼ぎでモデルをしているという。月光に映える白い肌、魅惑的な青い瞳。満たされた夏の夜だった。 ☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第１５回☆ ブハラの世界遺産アルク城に、こんなモノがありました。直径５～１５センチの球体。さあ、これは何でしょう。＜第１４回の回答＞ライオンのように見えて、実はライオン。ひねりも工夫もない出題でした。反省。＜Ｔ上司ランチ漫遊もヨロシク！！＞</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Sun, 28 Sep 2008 14:56:04 +0900</pubDate>

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<title>いきいき…働く子どもたち～熱砂の国ウズベキスタン（１４）</title>
<description>ウズベキスタンでは、大勢の働くこどもたちと出会った。授業が終わると、バザールや商店で家業を手伝う。義務教育を終え、絨毯工房や木彫工房で働く子どもたちも。もちろん貧しさもあるだろう。しかし、こどもたちはとことん陽気だ。きらきら輝くつぶらな瞳で、子どもたちはどんな未来を見つめているのだろうか。【写真】乾燥フルーツを売っていた少年。英語が分かった 【写真】ナッツ売り場のこどもたち。みんな働き者だ サマルカンドで一番の規模を誇るシヤブ・バザール。米や小麦、肉に野菜、そして果物。ありとあらゆる食料品が並んでいる。午後２時を過ぎると、売り手の主役は子どもたちに変わる。早朝から働いた親たちとバトンタッチするのだ。｢君は何歳なの？｣。乾燥フルーツを売っていた、小柄な少年に英語で尋ねた。｢１０歳だよ。これ、食べてみて｣。片言ながら、英語で答えが返ってきた。少年が手渡してくれたのはアンズだった。そのままガブリ。酸味とともに、野性的な甘みが広がる。｢おいしい｣。英語で返すと、少年はニッコリ。乾燥アンズは１０個で１００スム(約１０円)。値切りもせず、少年の言い値で購入した。【写真】サンプルを見ながら黙々と絨毯を織る少女 【写真】幅１メートルを超えるものは２人が息を合わせて織り進む 世界遺産に指定されているブハラ旧市街。あてもなく歩いていると、古びた絨毯工房が目に入った。入り口そばの椅子に、おじいさんが腰をかけていた。｢入っていいかい｣。身振り手振りで尋ねた。おじいさんは、しわくちゃな顔一杯に微笑みを浮かべ、ドアを開けてくれた。働いているのは若い女性ばかり。みんな１０代のようだ。突然の闖（ちん）入者に脇目もふらず、真剣な表情で織り機に向かっている。多彩な色使い、模様は複雑だ。神経の集中を求められる作業だ。小さいものは１人で、大きいものは２人並んで織り上げてゆく。｢サローム(こんにちは）。写真を撮りながら、ウズベク語で声を掛けた。答えはない。集中を乱され、怒っているのだろうか。反省と悔恨、苦い思い出になった。【写真】雑貨屋の店番をしていた少年。お兄さんと一緒に記念撮影 ブハラ下町。小さな商店が、びっしり軒を連ねている。駄菓子屋さんで店番をしていたのは、６～７歳くらいの男の子だ。しきりに話しかけてくる。ウズベク語だ。会話が成り立たないのが、なんとももどかしい。【写真】 真剣にノミを振るう少年。白いキャップの容器が瞬間接着剤 首都タシケントの木彫工房。少年４人が大きなテーブルに取り組んでいた。見本も図面もない。どうやって一つの作品に仕上げて行くのだろうか。｢失敗することはないの？｣絨毯工房での悔恨もどこ吹く風、意地悪な質問を投げかけた。オレンジ色のＴシャツを着た少年は、白いボトルを手に取った。それは木工用の瞬間接着剤。つぶらな瞳がいたずらっぽく笑っていた。☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第１４回☆ 「青の都」サマルカンドの霊廟にいた動物です。さあ、この動物はなんでしょう。名推理、お待ちしています。＜第１３回の回答＞お布施を入れるボックスでした。</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Sat, 27 Sep 2008 20:20:48 +0900</pubDate>

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<title>陽気な女子大生に嫉妬した～熱砂の国ウズベキスタン（１３）</title>
<description>無邪気な子どもたちとの出会いは清清しい。でも、フィーリングがピッタリあったのは女子大生たちだ。陽気で明るい彼女たち、流暢な英語で質問攻め。たじたじになりながらも、心ゆくまで触れ合いを楽しんだ。【写真】出番を待つ女子大生。みんな陽気にポーズを決めてくれた 古都ブハラ、金曜日の午後。緑に包まれた文教地区を歩いていると、軽快な音楽が響いてきた。心うきうき、ついつい小走りに…。ちっちゃなグラウンドがあった。若い女性たちが勢ぞろい。お揃いのコスチュームを身にまとっている。【写真】陽気な女子大生たち。青い服の女性はハングルがしゃべれた 木陰に腰を下ろしていた、普段着の女性たちに声を掛けた。｢私たちは女子大生です｣。きれいな英語が帰ってきた。1年に1度の大学対抗ダンス大会。彼女たちは出番を終えて、くつろいでいたのだ。｢日本はどんな国なの？｣「日本に行ってみたいなあ」｢どんな仕事してるんですか？｣若さの特権なのか、物怖じとは無縁のようだ。｢これから日本に行かないかい｣。照れながら答えると、｢行きたい｣｢行きたい｣大コール。そのバイタリティーに、嫉妬心さえ覚えてしまった。【写真】職場に戻るＯＬたち。健康的なお色気にくらくら 若い女性たちはおしゃれだ。首都タシケント、お昼休みを終えて職場に戻るＯＬたち。エキゾチックな顔立ち、スタイルもいい。強い太陽もいとわぬ凛とした姿は、健康的な魅力にあふれていた。【写真】結婚式を挙げたばかりのカップル。うらやましいなあ古都シャフリサーブスでは、結婚式のカップルと出会った。ずうずうしくも祝いの輪に飛び入り、シャンパンをご馳走になった。花嫁さんの手を取って、｢コングラチュレーション｣。幼な顔が恥ずかしそうに微笑んだ。【写真】 買い物帰りのおばちゃんたち。やはりパワフルだ どこの国でもそうだが、おばさんたちはパワフルだ。タシケントのバザール。甲高い声が飛び交う。たぶん値切り交渉をしているのだろう。ヤワな日本人は、ただ立ち尽くすだけだ。【写真】慣れているはずなのに、あまりの暑さに惰眠をむさぼる三毛猫ウズベキスタンではペットを飼う習慣はないのだろうか。７日間の滞在中、猫と犬は1匹ずつしか目撃しなかった。あまりの暑さにやられたのか、日陰でぐったり。｢たま｣｢ポチ｣と呼びかけてみたが、もちろん反応はなかった。【写真】 ロバは働き者。しっかり長生きしろよだらしない猫や犬に比べ、家畜は元気だ。コルホーズ(集団農場)のロバは1頭３役の働きぶり。荷物の運搬、畑作り、果ては子どもたちの遊び相手。やはりタフでないと生きてはいけない。 ☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第１３回☆ ブハラのモスク、入り口そばにありました。高さは１・５メートルくらい、金属製のボックス。上部に１０センチ×２センチ程度の穴が開けられており、丈夫な鍵がかけられていました。さあ、これはなんでしょう。＜第１２回の回答＞モスクにお参りするハーン（王様）が体を清めるためのものでした。</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Tue, 23 Sep 2008 11:19:44 +0900</pubDate>

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<title>こどもたちの笑顔に出会った～熱砂の国ウズベキスタン（１２）</title>
<description>ウズベキスタンの人々はフレンドリーだ。なぜ日本人と分かるのかは謎だが、｢ヤポネ？(日本人？)｣と声を掛けてくる。ウズベキスタンの人々の多彩な顔立ちを見ていると、この国が東西文明のはざまにあることを実感させてくれる。 【写真】中学生のサッカーチーム。みんな明るく、異邦人にも物怖じはしない 【写真】カメラを向けると、少女は恥ずかしそうにうつむいた 【写真】こちらは無邪気にポーズを決める。かわいいなあ【写真】恥ずかしそうに両手で顔を隠す少年。あどけない笑顔が印象的だった古都ブハラのスポーツ公園で出会ったサッカー少年たち。午後４時過ぎ、ゲームは終わったのか、木陰でくつろいでいた。好奇心ウズウズ、カメラを手に近づくと、質問の嵐。｢何をしている？｣｢名前は？｣…ブロークンな英語、かなり聞き取りづらい。｢サッカー選手では、誰が好きか｣こちらもブロークンな英語でお返し。｢ベッカム｣｢ジダン｣…。おなじみの選手の名前が挙がった。ただ一人、遠慮気味に｢ナ・カ・タ…｣。身振り手振りを交え３０分、振り返るといつまでも手を振ってくれていた。【写真】コルホーズの子どもたち。見知らぬ異邦人を遠巻きに見守っていた  サマルカンド郊外のコルホーズ(集団農場）。牛たちはのんびり草をはみ、子どもたちは無邪気に走り回っている。｢サローム｣(こんにちは）。ウズベク語で話しかけた。返事はない。不安げな表情で、遠巻きに見つめているだけだ。好奇心の強い子どもは、どこにもいるものだ。一人の少年が、はにかみながら手を差し伸べてきた。朝食の残りなのか、ひとかけらのナン。固くて固くて、食べるのに苦労したが、素朴な味わいが新鮮だった。  【写真】おじいちゃんと自慢の孫。くりくりっとした目が可愛い 【写真】恥ずかしがりながらも、カメラに収まった兄弟【写真】 食堂にいた２人の中学生。屋外のテーブルでポーズを決める  ブハラのバザール。スザニ（伝統刺繍）売りのおじさんが、赤ちゃんを抱きかかえて来た。英語は通じない。言葉の壁がなんとももどかしい。｢孫の写真を撮ってほしい｣。たぶん、そう言いたいのだろう。デジカメのモニターを見せると、照れながらもニッコリ。お揃いの服を着て、母親とともにカメラに収まる兄弟。タシケント郊外の食堂で出会った兄弟は、はさみを手にポーズを決める。さわやかな出会い、言葉の壁を超えるふれあい。旅の醍醐味をかみしめながら、さらなる彷徨を続けた。＜注＞人物写真は原則、被写体の許可を得て撮影したものです。 ☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第１２回☆サマルカンドのグリ・アムール廟の前庭に、こんなものがありました。大理石で、直径２メールくらい。さて、これはなんでしょう。名推理、お待ちしています。＜第１１回の回答＞正解は(２)でっかいコーランを置く台－でした。大きくて重いコーラン、どうやってめくっていたのでしょうか。</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Fri, 19 Sep 2008 13:04:01 +0900</pubDate>

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<title>ないない尽くしのトイレ事情～熱砂の国ウズベキスタン（１１）</title>
<description>大いに飲んで、大いに食べて…。それで３００円足らず。日本人旅行者には天国、天国。でも、浮かれてばかりはいられない。飲んで食べれば、必然の生理現象が始まる。トイレ事情はよくない、というか極めて悪い。宿泊した四、五つ星ホテルは、もちろん水洗トイレ。紙もあるし、水も流れる。掃除も行き届いている。だが、一歩ホテルを出ると…。【写真】トイレの男女マーク。さすが五つ星ホテル、男女とも正装していた まずトイレそのものが見当たらない。ウロウロ、きょろきょろ。トイレが見つかっても安心してはいけない。水洗なんて望むべくもない、もちろん紙はない。それに汚い、臭い…のないない尽くし。トイレは屋内、それが日本の常識だ。ウズベキスタンの飲食店では、それは稀有なことだ。飲食店から外に出て、ぐるりと裏に回る。アンモニア臭をたどって行くと、そこにトイレがある。【写真】ホテル以外では最上のトイレ。ぬるいが一応、お湯も出た タシケントのロシア料理店にあったトイレだ。紙はないが、手動式水洗装置がある。それが右側にある金属のホースだ。お尻だけでなく、便器もこれで洗い流すのだ。この国のトイレには金隠しがない。どちらを向いて用を足せばいいのか戸惑ってしまう。現地の人に聞くと、穴のあるほうが前だとのこと。でも｢大｣は、どうやって洗浄すればいいのだろうか。【写真上】紙は備えられていないが、まあ許容範囲内のトイレ【写真下】こちらも紙なし。臭いがかなりきつかった 写真上は韓国料理店、同下は民族料理店のトイレだ。いずれも使用した紙はダストボックスに入れる。フタがないので汚れが丸見え。臭いとあわせ、気分が悪くなりそう。用を済ませ、はたと当惑。どうやって後始末をすればいいのだろうか。   【写真】汲み取り式トイレ。前後も不明だし、なぜか幅が狭い。気をつけないととんだことに… 郊外のレストランで遭遇した、いわゆるポットントイレ（つまり汲み取り式）。日本でも昭和４０年代まではおなじみのスタイル。もちろん、たまった糞尿は農作物の肥料となる。気温が高い分、臭いも酷い。【写真上】コルホーズ（集団農場）のトイレ。前後に意味不明の丸い穴。もうたまらん！！ 【写真下】コルホーズのトイレ外観。目隠しはあったがドアはない。困った！！ 写真上・下のトイレは、女性には限界を超えていた。古都ブハラ郊外のコルホーズ（集団農場）で出会ったもの。お尻の下、わずか１０センチ先に堆積物がこんもり。ドアがないことなんて、どうでもいいことのように思えてくる。【写真】有料公衆トイレ。ウズベキスタン語で｢トイレ｣って書いてあるのだろう 公衆トイレは、ほとんどない。トイレだけに、うんよく見つかれば超ラッキー。使用料として２０～１００円はかかるが、掃除は行き届いている、ここで用を足せれば、真っ青な空のように気分も晴れやかになる。＜お断り＞女性用トイレは筆者ではなく、女性同行者が撮影したものです。　  ☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第１１回☆ サマルカンドのグリ・アムール廟に、写真のようなものがありました。直角三角形の石柱が２本、大きな石の台の上に向かい合わせに置かれていました。さて、これはなんでしょう。①日時計②コーランを置く台③王の棺を安置する台④雨水を集める施設⑤貢物を展示する台⑥天体の動きを観察する施設⑦その他＜第１０回の回答＞正解は③１カ月かかった―です。これまで届かなかった国もあったので、１カ月でもちゃんと届いただけでも立派です。★　　　★　　　★　　　★　Ｔ上司ランチ漫遊もヨ・ロ・シ・ク</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Mon, 15 Sep 2008 08:04:00 +0900</pubDate>

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<title>水分とらなきゃ死んじゃうよ～熱砂の国ウズベキスタン（１０）</title>
<description>【写真】昨日も、今日も、そして明日も…雲一つない真っ青な空。天気予報は全く不要 モスクの向こうに、真っ青な空が広がる。穏やかで、優しそうな色彩が印象的だ。それが一転、恐ろしい牙をむく時がくる。気温は５０度に迫る。ウズベキスタンの夏は炎熱地獄なのだ。水分補給を怠ると、熱中症でぶっ倒れてしまうだろう。  【写真】街角の酒屋には多種多様なビールが並ぶ。でも缶ビールは見当たらない イスラム圏ではアルコールはご法度だ。これまでに訪問したイラン、リビア、エジプトがそうだった。ノンアルコールビールはあったが、これが高くて不味い。たぶん観光客用なのだろう。イスラム教徒が人口の８割を占めるウズベキスタン。なぜか飲酒はＯＫ。酒屋さんでは多種多様なビールが売られている。｢水分補給｣の名目で、昼間から飲めるのはうれしい。オープンカフェなら１本１０００スム(１００円)くらい。ノンベエには天国だ。【写真】サマルカンドの露店でミネラルウォーターを買う日本人観光客 サマルカンドの繁華街。ペットボトル入りのミネラルウォーターを売る露店があった。クーラーボックスを覗き込むと、氷は申し訳程度にしか入っていない。わざとか偶然なのか、おばちゃんが差し出すものは生ぬるい。強引に手を突っ込んで、よく冷えたものをゲットした。３００スム(３０円)だった。【写真】やたら目に付くネッスルのミネラルウォーター。ウエストがくびれたファンタ。でかボトルのスプライトも 欧米のソフトドリンクもそろっている。やたら目に付くのが、コカコーラやファンタ、スプライトだ。３５０ミリリットルで５００スム(５０円)くらい。デザインも多彩だが、缶入りは全く見かけなかった。   【写真】街頭のジューススタンド。蛇口をひねって、紙コップに注いでくれる ブハラの街では、散水車のようなジューススタンドを目撃。ジュースタンクに付いた蛇口をひねってカップに注ぐスタイル。遠巻きに観察すると１杯１００スム(１０円)くらい。安いけど、水道水を使っていたらヤバイ。【写真】五つ星ホテルのコーヒー、実は｢ネスカフェ｣。こちらはウズベキスタン産のワイン、かなり甘口 食べて飲んだら、どうなるのか。当たり前のことだが、生理現象が始まる。ところが、これがウズベキスタンでは…。連載第１１回を、お楽しみに。☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第１０回☆  ウズベキスタンの絵葉書です。古都ブハラから自宅宛にエアメールを投函しました。このエアメールの運命は…。（１） １週間以内に届いた （２） ２週間かかった （３） １カ月かかった （４） 届かなかった （５） その他 ＜第９回の回答＞正解は(１)遺跡撮影チケットでした。チケットさえ購入すれば、遺跡でも出土品でもなんでも撮影ＯＫ。外国人には分かりやすいシステムです。１施設でカメラ１台に付き１枚必要ですが、なぜか携帯電話のカメラはチケット不要。ウズベキスタンには、カメラ付き携帯はないのかもしれません(未確認)。 ★　　　★　　　★　　　★　Ｔ上司ランチ漫遊もヨ・ロ・シ・ク</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Thu, 11 Sep 2008 12:18:00 +0900</pubDate>

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<title>露・中・韓…入り乱れる食事～熱砂の国ウズベキスタン（９）</title>
<description>多民族国家・ウズベキスタン。食も多彩だ。ロシア料理あり、中国料理あり…。韓国料理があるのには正直ビックリ。悠久の歴史を刻んだ街角で、新たな発見と出会い。食事タイムはワクワク、ドキドキの連続だった。   【写真】ハングル文字の看板を掲げた韓国料理店。たぶん店名が書かれているのだろうおりしも、小泉首相が首都タシケント入り。武装警官が街角で目を光らせ、厳重な警戒線も張られている。そんな繁華街に嫌気がさし、静かな下町をぶらぶら。何気なく曲がった四つ角に、ハングル文字の看板があった。【写真】鉄鍋で出された豆腐チゲ。それほど辛くはなかった 【写真】無料サービスのキムチ。激辛、発酵もかなり進んでいた ちょうどランチタイムだ。渡りに船とドアを開く。そこはハングル会話の大洪水。服装から判断すると、観光客ではなく、ご近所さんのようだった。豆腐チゲもキムチもおいしい。イスラム世界では禁断のデジカルビ(豚肉カルビ)も平らげた。【写真】中国料理店。ウズベク文字と並んで、漢字で｢中国飯店｣ タシケントの晩飯は、昼間に目をつけていた中華レストラン。その名も｢中国飯店｣。いかにも中国風な外観が印象的だ。自動ドアを通り抜けて、ちょっとビビってしまった。出迎えてくれたのは、金髪のロシア系美女。しかも超ミニスカート。【写真】春雨と蒸し鶏の炒めもの。ちょっと脂っこいのが難点だ 【写真】魚の唐揚げ。川魚なのか、あっさりとして美味だった 彼女たちは、かいがいしくサービスしてくれる。春雨の炒め物、魚から揚げ（鱒？）、ホイコーロー。香り高いジャスミンティーで仕上げ。びくびくしながら支払いしたが、２人で３万スム(約３０００円)で一安心。   【写真】ボルシチ風スープ。具は牛肉団子、マッシュポテト、人参、ひよこマメ １９９１年まで旧ソ連邦の一員だったウズベキスタン。旧ソ連風料理は、いたるところで食べられる。ただしオリジナリティーはかなり失われている。さまざま民族料理と融合しているのが特徴だ。【写真】ピロシキ。羊ミンチと野菜入り。インドのサモサ風に三角形なのが特徴 【写真】ロシアの水餃子ペリメニ。サワークリームで食べるのが旧ソ連風だ まずはボルシチ。本家ほど赤くはない。ピロシキは、なぜか三角形。インドのサモサ風だ。水餃子ペリメニ。中国風水餃子と見た目は似ている。でも、ポン酢ではなくサワークリームをつけて食べる。中露合作といった感じだ。食材も料理も多種多様なウズベキスタン。安くて、おいしくて、ついつい食べ過ぎてしまいそう。海外を旅する楽しさの一つは、食との幸運な出会いだ。もちろん外れも多いが、それはそれで旅の貴重な思い出になる。☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第９回☆  ウズベキスタンでは、ことあるごとに写真のようなチケットが必要になります（一部修正あり）。1枚５００～１０００スム（５０～１００円）です。さあ、これは何のチケットでしょうか。（１） 遺跡撮影チケット （２） 乗り合いバスのチケット （３） 地下鉄乗車券 （４） トイレ利用券 （５） ビール購入券 （６） 女性とおしゃべりできるチケット。１枚で１０分間ＯＫ （７） その他 ＜第８回の回答＞正解は(１)郵便ポストでした。日本は赤ですが、ポストの色にもお国柄があるようです。</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Mon, 08 Sep 2008 08:17:00 +0900</pubDate>

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<title>民族料理、多彩だなあ～熱砂の国ウズベキスタン（８）</title>
<description>シルクロードの十字路ウズベキスタン。西から東へ、東から西へ。人が動けば、物も動く、文化も動く。食文化も入り乱れ、多彩な料理が花開く首都タシケント、古都サマルカンドやブハラ。ぶらりぶらり街角を歩いていると、香辛料の香りが風に乗って流れてくる。ウズベキスタンの伝統料理を食べさせてくれるレストランだ。あまりきれいとはいえないが、とにかく安い。【写真】ウズベキスタンの代表料理ブロフ。よく煮込まれた牛肉がうまい 主食の一つがブロフ。肉とジャガイモ、ニンジンが入った炊き込みご飯。でっかい具がてんこ盛り、いわば中央アジア風ピラフ。素朴な味わいが、胃に優しい。【写真】一見、ラーメンみたいな｢ラグマン｣。緑色の野菜はズッキーニ ｢これって、ラーメンじゃないの？｣。それが｢ラグマン｣。大雑把に言うと、具だくさんの中央アジア風うどん。コシがないので、アルデンテを過ぎたパスタみたい。でも遠来の日本人には懐かしい味わいだ。【写真】おなじみのシシケバブ。上側が牛肉のぶつ切り、下側はラクダ肉のミンチ中央アジア定番の料理がシシケバブ。肉を鉄串にさして、直火でローストしたもの。羊、牛、鶏、ラクダ…肉も変化に富んでいる。塩、胡椒だけのシンプルな味付けが食欲をそそる。【写真】パプリカの千切りニンジン詰め。ちょっと脂っこいのが難点だ７、８月はほとんど雨が降らないウズベキスタン。秋から春の雨量も日本の３０分の１くらい。それでも野菜や果物は豊富に出回っている。豊富な地下水をくみ上げ、かんがいに利用しているからだ、【写真】ナスのオリーブオイル炒めトマト添え。見た目はカラフル パプリカ、ナス、カボチャ、玉ねぎ…。野菜料理もにぎやかだ。カラフルで食欲をそそる野菜料理が、食事のたびにテーブルに並んだ。油がきついものもあるが、素朴さがいい。残念ながら、料理の名前は聞き取れなかった。   【写真】直径３０センチはある丸型ナン。２人でも食べきれない イスラム系の人たちの主食はナンだ。インド系の三角形のナンではなく、真ん丸いのが特徴。日本でおなじみのソフトなナンじゃなく、かなり歯ごたえがある。軟弱な日本人には、ちょっと手ごわい。【写真】アンズやナツメヤシの種、アーモンドなどナッツ類も【写真】 桃、リンゴ、ブドウ、バナナ…フルーツも多彩で豊富だいたい前菜、メーン、サラダ、フルーツがつく。それで１食１０００スム（スムはウズベキスタンの通貨。１０００スムは約１００円）でお釣りが来る。食のワンダーランド・ウズベキスタン。新たな味覚を求めて、下町探索に出発だ。☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第８回☆サマルカンドのホテル。フロントわきに、高さ１メートルくらいの金属性ボックスがありました。さて、これはなんでしょうか（写真は一部修正しています）。（１）	郵便ポスト（２）	ホテルへのご意見ボックス（３）	不要新聞入れ（４）	クリーニングボックス（５）	ダストボックス（６）	その他＜第７回の回答＞正解はシシトウでした。太陽の恵みで大きく育つようです。 </description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Wed, 03 Sep 2008 18:30:00 +0900</pubDate>

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<title>首都タシケントで不幸が襲う～熱砂の国ウズベキスタン（７）</title>
<description>午後１時、なんとか首都タシケントにたどり着いた。ところが、小泉首相のタシケント訪問とモロにバッティング。いたるところ厳しい警戒線が張り巡らされ、立ち入り禁止ゾーンも設けられている。行きたいところにもいけず、観光プランはかなり狂ってしまった。【写真】首都タシケントで、やたらと目に付いた小泉首相歓迎の大看板まずはナヴォイ・オペラ劇場へ。１９４７年、旧ソ連に連行された日本兵たちの強制労働により建設された。１９６６年にタシケントを襲った大地震にもびくともしなかった。ウズベキスタンで日本人が歓迎されるのは、日本兵の血と汗に起因しているのだろうか。【写真】日本兵たちの強制労働により建設されたナヴォイ・オペラ劇場ウズベキスタン工芸博物館も見逃せないスポットだ。１９０７年に建てられたロシア公使私邸を転用したもの。陶芸、レリーフ、刺繍、絨毯…この国の伝統工芸品が一堂に展示されている。中庭には巨大なポプラが大きく枝を広げており、涼風が旅の疲れを癒してくれた。【写真】ウズベキスタン工芸博物館中庭。大きなポプラの木陰が、旅の疲れを癒してくれるどんな国に出かけても、必ず訪ねるスポットがある。それは市場（バザール）だ。そこに並ぶ物資を見れば、その国の豊かさがはかられる。タシケント最大のバザールがチョルスー・バザールだ。【写真】青いドームが印象的なチョルスー・バザールウズベキスタンの｢色」とも言える青いドーム。東京ドームに匹敵するスペースに、無数の店舗がひしめいている。農産物をメーンに、日用品もうず高く積まれている。売り子の威勢のいい声が響き、ウズベクの人たちのパワーを感じることができた。【写真】雑多な店舗がひしめくバザール。慣れない異邦人は迷子になりそう帰国前日、ヤワな日本人を襲った不幸とは…。それは下痢。昼食を食べ終えたあと、突然に始まった。日本から持参の特効薬を服用したが、たいした効き目はなかった。２～３時間ごとに１回、トイレに駆け込む羽目に。特に思い当たる節はない。灼熱の太陽が、ボデーブローのように体力を奪っていったのか。、ウズベキスタンのトイレ事情は極めて悪い。不測の事態に備えるため、遠出は断念した。強制連行された日本兵が眠る日本人墓地も、その一つだ。不幸はこれだけに終わらなかった。下痢のため注意が散漫になっていたのだろう。デジタルカメラをトイレに落としてしまった。カメラは昇天、撮影データも消失。タシケントの写真が極端に少ないのは、そのためだ.。あ～あ、われ老いぼれたり！！☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第７回☆サマルカンドの民族食レストランでテーブルに並べられていた生野菜です。赤いのはトマトですが、でっかいグリーンの野菜は何でしょうか？　＜第６回の回答＞正解は（４）。フィンランドの大手電気通信メーカー｢ノキア｣の製品でした。	残念ながら、日本製にはお目にかかりませんでした。</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Fri, 29 Aug 2008 08:30:00 +0900</pubDate>

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<title>あ～あ、小泉首相とバッティング～熱砂の国ウズベキスタン(６)</title>
<description>旅先では、時計の針が早く動いているのか。ウズベキスタンの日々も、はや６日。そろそろ帰国の準備を始める時だ。ここブハラから首都タシケントへ戻るにはどうすればいいのか。この２都市、直線距離で約４００キロも離れている。長距離バスだと１５時間はかかる。夜行特急列車でも１０時間の長旅だ。運賃は高いが、やはり飛行機が早くて便利だ。小型プロペラ機が１日１往復している。【写真】日本・ウズベキスタン首脳会談をトップで報じるウズベキスタン紙。ちなみに当時は小泉さんブハラ発は午前１０時。これなら、午前中にタシケントに戻ることができる。２４人乗り小型機、かなりの年代物だ。やや不安を覚えながら、機中の人となった。わが身を守るシートベルトすら、ちゃんと装着できない。定刻の１０時を過ぎても、飛行機は動かない。むき出しのコックピット、パイロットが管制官と盛んに交信を繰り返している。１０時２０分、客室乗務員が飛行機から降りるように促し始めた。なぜかは分からぬが、「タシケント空港が閉鎖された」らしい。【写真】こじんまりしたブハラ空港。もちろん空港内は撮影禁止だ重い荷物を背負い、とぼとぼ搭乗待合室にＵターン。｢なぜタシケント空港が閉鎖されたの？」恐る恐る、地上係員に尋ねた。｢コイズミ首相がサマルカンドから飛行機で到着するからだよ」｢もう、なんでこんな時に…｣とは思ったが、ひたすら待つしかない。日本と違って空港内を自由に歩け回れるわけではない。コーヒースタンドがあるわけでもない。固いベンチに座って、ひたすら時間を過ごす。【写真】リアス式海岸のように水際が後退した湖。緑は見当たらない【写真】機内食。テーブルがないので、ひざの上に置いて慌しくかきこんだ再搭乗のアナウンスがあったのは午前１１時半。小型機は何事もなかったように滑走路を走り出し、真っ青な空に舞い上がった。水平飛行に移ると、機内食が配られた。パンとジュースとおつまみ、シンプルなものだ。、狭い機内、テーブルもない。ひざの上に置いて、喉の渇きを癒した。狭い窓から地上を見下ろすと、赤茶けた沙漠が広がっている。人間の営みは全く見当たらない。乾季のためか湖は後退し、湖底がむき出しになっている。午後１時、タシケント空港に無事ランディング。【写真】タシケント国際空港。エプロンには、青い機体のウズベキスタン航空機がひしめいていた写真撮影は禁止されているが、機内からこっそりシャッターを押した。ブルーのウズベキスタン航空機がずらりと翼を休めている。外国の航空機が一機だけ視界に入った。尾翼に日の丸、それが小泉首相専用機だった。☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第６回☆ブハラで出会ったサッカー少年の一人が手にしていた携帯電話。メンバーのうち携帯電話を持っているのは彼だけのよう。さてこの携帯電話は、どこの国の製品でしょう。(１) 日本(２) 韓国(３) ロシア(４) フィンランド(５) スペイン(６) その他＜第５回の回答＞正解はトイレ使用後に使う水です。水洗トイレはホテルや高級レストランを除いて、ほとんど普及していません。雨水とか生活廃水を貯めておいて、ペットボトルに詰めるようです。</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Tue, 26 Aug 2008 18:19:00 +0900</pubDate>

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<title>遺跡の宝石箱ブハラ～熱砂の国ウズベキスタン(５)</title>
<description>２５００年の歴史を秘める古代都市ブハラ。１２２０年、ジンギス・ハーンの来襲で灰燼（かいじん）に帰す。１６世紀に入って不死鳥のように蘇り、絶頂を迎える。歴史の荒波にもまれた古代都市。旧市街が丸ごと世界遺産に指定されている。【写真】歴代ブハラ・ハーンの居城アルク城。正門は往時の姿をとどめている【写真】アルク城の城壁。高くて険しい。なだらかな曲線が美しい 【写真】正門見晴らし台から見たブハラ旧市街。景観保護のため、高層ビルの建築は制限されている ここブハラで救いの神が現れた。宿泊したホテル｢ブハラ・パレス｣にサウナがあったのだ。筋肉痛の両足をしっかりマッサージ。翌朝、すっかり痛みが引いていたのだ。ブハラ旧市街は広い。徒歩で丸1日かけてめぐるつもりだ。スタートは歴代ブハラ・ハーン（王）の居城アルク城。でっかいお城、文字通り「歩く城」だ。入場料は２０００スム（約２００円）だが、写真撮影料として１０００スムもとられる。城門をくぐると、まず目に入ってくるのが地下牢だ。暗くて狭い地下牢。不気味さが募る。そこを抜けると、光が乱舞する大広間が姿を現す。暗と明、ハーンの権力を見せ付ける巧みな演出だ。アルク城は破壊と建設を繰り返した。最もダメージを受けたのは１９２０年、ロシア赤軍の攻撃だった。情け容赦ない砲撃により、かなりの部分が崩壊した。現在の城は往時の３分の１に過ぎず、レンガの残骸が今もあちこちに積み上げられている。【写真】１１２７年に建造されたカラーン・ミナレットとカラーン・モスク 【写真左】ミナレットは１４層にわたって美しく装飾されている【写真右】 青いドーム。文字をデザインしたモザイクタイルが印象的だ 第二のターゲットはカラーン・ミナレットだ。強い日差しを浴びながら、旧市街をぶらぶら歩く。くねくね曲がった細い路地。商店や食堂がびっしり軒を連ねる。やがて、青空にそびえるミナレットが視界に入ってきた。１１２７年に建造されたブハラのシンボル。高さ４８メートル、１４層の帯で装飾された美しいミナレットだ。１４世紀にブハラを壊滅させた大地震にも耐え、ブハラの興亡を見守ってきた。紺碧の空に生える紺碧のドームが印象的だ。もちろん、このミナレットも上ることが出来る。勇躍、入り口に向かう。なんと、鎖で厳重に封鎖されているではないか。そこには、ウズベク語と英語で書かれた看板。｢工事中。立ち入り禁止｣。ああ無情！！【写真】胡桃の柱が２０本も並ぶテラスが印象的なバラハウズ・モスク。１８世紀の建造だ 【写真】中央アジア最古、１０世紀に建造されたイスラム建築イスマイール・サーマーニー廟 【写真】預言者ヨブにちなむチャシュマ・アイユブ。泉からは今も水が湧き出ている  ブハラ・ハーン専用のバラハウズ・モスク。中央アジア最古のイスラム建築イスマイール・サーマーニー廟。預言者ヨブの泉が今も残るチャシュマ・アイユブ（ヨブの泉）。宝箱のように歴史的建造物が点在しているブハラ。ところが、これらは徒歩でしか巡れない。世界遺産保護のため、車の乗り入れが制限されているからだ。真夏の太陽は無慈悲だ。やわな日本人の体力をどんどん奪ってゆく。これが帰国前日の不幸につながるとは、この時点では想像すら出来なかった。 ☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第５回☆ タシケントのレストラン、裏口にペットボトル（封は切ってあるが、水らしきもが入っている）が置いてありました。さあ、これは何に使うのでしょうか。＜第４回の回答＞正解は５のその他です。見た目はレモンですが、味も香りもレモンではありませんでした。フルーツの鬼の異名をとる同行者も「？」。</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Thu, 21 Aug 2008 10:00:00 +0900</pubDate>

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<title>シャフリサーブスのおのぼりさん～熱砂の国ウズベキスタン(４)</title>
<description>【写真】かつては壮麗なアーチだったアク・サライ宮殿正門。左側の塔に上ることができる人間は、なぜ高いところにのぼるのか。自由に大空を飛びまわれる鳥にあこがれるのか。登山家は｢そこに山があるから｣、命をかけても山に登る。観光客は「そこに塔（タワー）があるから」、お金を払っても上るのだ。   ウズベキスタンの古都シャフリサーブス。もう１００キロも南下すれば、そこはアフガン国境だ。ティムール王が建設した世界遺産アク・サライ宮殿。帝国の内乱で破壊され、正門と２本の塔のみが繁栄の片りんを今に伝えている。【写真】 塔頂から望む宮殿跡の広場。写真奥に見えるのがティムールの銅像午後２時過ぎ、気温は５０度近い。一休みしようと、正門の日陰に入った。そこに、長いあごひげのおじさんがいた。らせん階段を指差し、ウズベク語で何かしゃべっている。｢どうだい、塔に上ってみないかい｣。たぶん、そう言っているのだろう。ここで、引いては日本男児の名がすたる。筋肉痛だなんて言ってはおれない。２０００スム（約２００円）払って、階段を上り始めた。筋肉痛の足、思ったように上がらない。時折り、痛みでぶるぶる震える。階段の数を数えていたが、１００段を超えたところで意識から消え去った。【写真】記念撮影する家族連れ。手すりがぐらぐらするのだが平気な様子 はうようにして、塔の頂上にたどり着いた。ぐるり３６０度、パノラマが広がる。写真を撮ろうと、手すりに手をかけた。すると…。手すりが大きくかしいだ。しっかり固定されていないのだ。ここから落ちたら木っ端微塵、吹き出た汗が一瞬に引いた。アク・サライ宮殿跡ほぼ中央にティムール王の銅像が建っている。炎天下なのに、着飾った人たちで大賑わい。ウエディングドレスの花嫁さんも数人いる。新聞記者として見逃すわけには行かない。駆け寄って取材を始めた。【写真】ウズベキスタン建国の父ティムールの銅像 【写真】親族を引き連れ結婚の報告に来たカップル。日曜日のせいか、数組がはちあわせ会話は片言の英語と身振り手振り。なんとか聞き出したところによると…。新婚カップルは、ティムールに結婚の報告をするしきたりがあるらしい。それでなくとも陽気なウズベクの人たち。アルコールも入って上機嫌だ。ドサクサにまぎれてシャンパンをご馳走になった。ラッキー！！【写真】シャフリサーブスに残る壮麗な建築群【写真】ドーム内部のモザイクは精緻で美しい シャフリサーブスにはティムールゆかりの遺跡も多く残されている。ティムールの父が眠るドルッティロヴァット建築群。ティムールが葬られるはずだったドルッサオダット建築群。紺碧の空に映える青いドーム。繊細なデザイン、精緻な美…見飽きることはない。☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第４回☆ 日本では見かけない白いファンタ。さあ、これは何味なのでしょう。ズバリお答えください。（１） 砂糖水 （２） レモン （３） マンゴー （４） キャベツ （５） その他 ＜第３回の回答＞正解はメロンでした。熱砂の国ですが、冷蔵庫は普及していません。野菜や果物を乾燥させて保存するのは、歴史に培われた生活の智恵なのです。</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Mon, 18 Aug 2008 11:00:00 +0900</pubDate>

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<title>紺碧のタイル、紺碧の空～熱砂の国ウズベキスタン（３）</title>
<description>６００年の歴史に耐えた、壮麗なイスラム建築群。ウズベキスタンが世界に誇る世界遺産｢サマルカンド｣だ。腹が減っては観光はできぬ。民族料理で、しっかり腹ごしらえ。いざ、歴史探訪の始まり、始まり。午後１時半、日陰でも気温は４０度を超えている。それでも、汗は噴き出さない。湿度が１０％以下だからだ。じめじめした日本の夏より、過ごしやすいのかもしれない。【写真】世界遺産レジキスタン広場。旧ソ連時代に深さ２メートルの砂が除かれ、現在の姿になった 【写真】４２０年に建造されたウルグベグ・メドレセ。右側のミナレットに上ったサマルカンドは、なぜ｢青の都｣といわれるのか。それは、この写真を見れば納得していただけるだろう。紺碧のタイルで彩られたドーム、真っ青な空に伸びるミナレット(尖塔）。その代表的史跡がレジキスタン広場だ。中央アジアに大帝国を築いた偉大なる王ティムール。その孫ウルグベグ（１３９４～１４４９）が１５世紀に築いたもの。三つのメドレセ（神学校）が、四角い広場を囲むように並んでいる。ミナレットは１０００スム（約１００円）払えば、だれでも上ることができる。どうみても、高さは５０メールもないだろう。ここまでやってきて、尻込みする道理はない。それは、とんだ誤算だった。ミナレットは直径１メールもない。当たり前のように、らせん階段は狭くて険しい。しかも真っ暗、ステップの幅は１０センチもない。しっかり足元を確かめないと、階段を踏み外してしまいそうだ。【写真】ミナレット最上部からサマルカンドの街並みを一望。モヤがなければ天山山脈も望める 【写真】ティムール一族が眠るグリ・アムール廟。ドームの青さはサマルカンドでも随一だという 新聞記者的好奇心から、階段の数を数えながら上った。５０段までは楽勝だった。７０段あたりから汗が噴き出してきた。息も切れ始めた。１００段を過ぎると、数える気力が失せた。天上から光が差し込んできた。ミナレットの最上部にたどりついたのだ。そこは天国だった。視界は、ぐるり３６０度。涼風が歓迎してくれる。至福の時は長く続かない。｢チャオ！！｣。陽気なイタリアが語が日干し煉瓦の壁に響いた。ビア樽のような男性が階段を上ってきた。最上部のスペースは一人分しかない。このイタリア人と入れ替わりに、天国から地獄へ下りなければいけないのだ。階段を踏み外すと地上まで一気に落下しそうだ。壁に手をつき(手すりなどない)、足に力を入れ、階段を確かめるように一歩一歩下っていく。また汗が噴き出した。かろうじて出口にたどり着いた。塔番のおじさんが｢やったね｣とでも言いたいのか、親指をつき立てて迎えてくれた。【写真左】アフラシャブの丘に広がるのがシャーヒズィンダ廟群のモスク【写真右】天国への階段。階段の数は結局いくつなんだろう サマルカンド郊外、アフラシャブの丘に広がるのがシャーヒズィンダ廟群だ。１４～１５世紀の建造。ティムール王ゆかりの人々の霊廟が、斜面にほぼ一直線に並んでいる。壮麗なアーチをくぐると、長くて高い階段が姿を現す。｢天国への階段｣だ。階段の数を数えながら上り、その数が帰りと同じだったら天国へ行けるという伝説がある。息を弾ませながら数えた。１０３段だった。でも、帰りはなぜか９７段しかない。なぜだ！！　あ～あ、われは地獄に落ちるのか。【写真】 天文台の跡。半円形アーチの中に六分儀がおかれていた 【写真】天文台資料館に残されていた落書き。いろんな国の言葉があった アフラシャブの丘から北東に１キロ、チュパン・アタの丘に天文台の跡がある。ウルグベク王が建設、１９０８年にロシア人考古学者によって発掘された。ウルグベクは天体観測により１年間は３６５日６時間１０分８秒と推測した。今日の定説は３６５日６時間９分９・６秒。誤差は１分にも満たない。 翌朝、悲劇が襲った。予想はしていたことだが、激しい筋肉痛に襲われたのだ。わが旅は始まったばかり。日ごろの運動不足の報いなのか。さらなる悲劇が古都シャフリサーブスでも待っていることを、このとき、善良なる旅人は知るよしもなかった。☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第３回☆ サマルカンドのバザールで購入。特産のフルーツを乾燥させたもの。ＴＢＳ系「世界ふしぎ発見」ウズベキスタン編でも出題され、黒柳徹子さんが正解を出していました。さあ、このフルーツはなんでしょう。ずばりお答えください。＜第２回の回答＞爪楊枝入れでした。なぜハートマークなのかは、言葉の壁があり分かりませんでした。　</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Wed, 13 Aug 2008 11:15:22 +0900</pubDate>

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<title>「青の都」をめざして～熱砂の国ウズベキスタン（２）</title>
<description>旅の第１夜は｢タシケントパレスホテル」。バルコニー付き、ゆったりした五つ星ホテルだ。でっかいベッド、真っ白いシーツ。ためらう時間もなく、眠りに落ちる。翌朝午前６時、モーニングコールが鳴り響く。目覚めは心地よい。【写真】タシケントパレスホテル。中庭にはプールもあった朝食バイキングで腹ごしらえ、まずは古都サマルカンドをめざす。サマルカンドはタシケントから南西へ約３００キロ。体力自慢の若者なら長距離バスガオススメ。でも、ミーハーな旅人は鉄道が早くて便利だ。   【写真】大理石造りの豪華なタシケント駅。人の出入りも少なく、ひっそりしていた宮殿かと思った。豪奢な石造建築。緑豊かな前庭。大ホールは吹き抜け、光輝くシャンデリア。それが国鉄タシケント駅だった。カメラを取り出すと、警備員（警察官？）が飛んできた。どうやら写真撮影は禁止されている。旧ソ連時代の悪弊は、なお健在のようだ。【写真】タシケント発ブハラ行き特急列車。１０両編成で、１号車は食堂車だった 広いホームに青と白、ツートンカラーの列車が止まっていた。サマルカンド経由ブハラ行きの特急列車だ。乗降口には制服姿の女性乗務員。乗車券を見せると、にこやかに席まで案内してくれた。【写真】 女性乗務員。制服は列車と同じカラー 客車はヨーロッパではおなじみのコンパートメントスタイル。１両にコンパートメントが１０。１コンパートメントは６席。乗車券には手書き文字で｢４－６｣「４－６」と書かれている。４号車、６番目のコンパートメントということだろう。【写真】左側がコンパートメント。ガラスドアで仕切られている ゆったりしたコンパートメント。ふんわりしたリクライニングシート。中央にはテーブルがあり、急須と湯飲みが置かれている。英語の観光ガイド誌も置かれていた。発車ベルも車内アナウンスもなく、列車は定刻の午前８時半、静かに動き出した。【写真】コンパートメント内。向かい合わせに６席。中国の列車のように、急須と湯のみがセットされていたドアをノックする音がした。先ほどの女性乗務員だ。にっこり微笑んで｢飲み物はいかがですか｣。どうやら、無料サービスのようだ。しばらくしてコーヒーが届いた。山盛りのパンも一緒だった。【写真】コーヒー(ネスカフェ)と、かなり固いパンだった。サービスかと思ったら、降りる間際に代金を請求された列車の旅は飽きることがない。枯れた山、緑豊かな畑、人々の暮らしぶり…車窓の景色は多彩だ。特急列車はノンストップで快走する。午後０時半、アナウンスもなく列車は止まった。サマルカンド駅だった。【写真】荒野を流れている川。真夏でも、水量は豊富だ☆ウズベキスタン、なるほど・ザ・クイズ～第２回☆ ウズベキスタン第２の都市サマルカンド。下町の民族料理レストランでハートマークがかわいい容器に出会いました(写真は一部修正）。さあ、これは何の容器でしょう。ずばりお答えください。＜第１回の回答＞正解は（３）ウズベキスタンを構成する州の数でした。 </description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Sun, 03 Aug 2008 13:25:06 +0900</pubDate>

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<title>いざシルクロードの要衝へ～熱砂の国ウズベキスタン（１）</title>
<description>真夏のイランは４３度もあった。リビアでは４５度も体験した。｢暑さなんてへっちゃらさ」。そんな思い上がりは粉々に砕かれた。２００６年夏ウズベキスタン、５０度の熱風が出迎えてくれた。東西文明の接点、シルクロードの要衝に位置するウズベキスタン。小泉首相(当時)の中央アジア歴訪と歩調をあわせるように、駆け足でめぐった。ウズベキスタン？　どこにあるの？　たぶん１０人中９人は、ご存知ないでしょう。ロシアの南、アフガニスタンの北あたり。旧ソ連領時代は、遠い遠い国だった。１９９１年に独立。今では８時間のフライトで、首都タシケントに第一歩を記すことができる。遠くて近い国、それがウズベキスタンなのだ。【写真】関西国際空港に駐機するウズベキスタン機。真っ青な機体が青空に映えるタシケント便のフライトは、ちょっと複雑だ。往路は成田国際空港をスタートし、関西国際空港に立ち寄り、タシケントへ。復路はまず成田へ降り、それから関空に戻ってくる。運航効率はいいのだろうが、関空出発客は遠回りを余儀なくされる。関空１番スポットに駐機するボーイング７６７－３００。機体と同じ真っ青な制服の客室乗務員が、にこやかに出迎えてくれる。エコノミークラスでも、ウェルカムドリンクがあるのはうれしい。午後１２時４５分、定刻に関空を離陸した。【写真】赤ワインとおつまみの小袋。もちろん無料、ワインのお代わりもＯＫかなり年季の入った機体。椅子はガタガタ、読書ランプも点灯しない。ほどなく水平飛行に移る。アルコールサービスが始まった。ウズベキスタンはイスラム教徒が多いが、飲酒ＯＫなのがうれしい。旅の平穏を願い、同行者と赤ワインで乾杯する。いよいよ、お楽しみの食事タイムだ。｢fish　or　beef｣。客室乗務員が英語で問いかける。もちろんビーフ。メーンは牛肉と玉ねぎのソテー。やや甘めのソースが、なかなかうまい。眼下に黄河のうねりを眺めながら、パンもケーキも平らげる。【写真】１食目。メーンが牛肉と玉ねぎのソテー。ほかにフルーツ、ケーキ、サラダしばらくすると映画タイムだ(別名お休みタイム)。おや、かなり色あせているゾ。２０～３０年前のアメリカ映画か。乗客の７割は日本人なのに、字幕も吹き替えもない。まあ、そんなことに怒っていたら、異境・辺境への旅はできない。日本製ビールを飲みながら、文庫本を読むことにする。同行者は、深い眠りに落ちた。離陸から約５時間。窓外には、アジアの尾根・天山山脈が連なる。映画は３本目だ。見覚えのあるシーンが始まった。なんと、１９８１年に公開された｢レイダース～失われた聖櫃｣。これは日本語吹き替え。何度見てもはらはらドキドキ、やはり名作だなあ。【写真】２食目。チーズ、ハム、野菜のミックスサンドイッチ。フルーツとドリンクがセットやがて２回目の食事タイム。サンドイッチとドリンクだけ、シンプルなメニューだ。アルコールを飲みすぎたせいか（ワイン３杯、缶ビール２本）、ほとんど食欲がない。もったいないので、サンドイッチをデイパックにしのばせる。ベルト着用サインがともり、ウズベキスタン機は降下を始めた。眼下に茫々たる大平原が広がる。午後４時４５分、タシケント国際空港にランディング。乗客から拍手が起きた。日本との時差は４時間、ジャスト８時間のフライトだった。＜ウズベキスタン共和国＞１９９１年、ソ連邦(当時)から独立。日本の１・２倍の国土に約２７００万人が住む。８０％がウズベク人。ほかにロシア人、タジク人、カザフ人、タタール人などが住む多民族国家だ。ウズベク人の多くがイスラム教スンニ派。☆なるほど・ザ・クイズ第１回☆写真はウズベキスタン国旗です。青・白・緑・赤の４色。青は澄んだ空、白は美しい国土、緑は　実り豊かな農業、赤は独立を守る決意を示す。三日月と星はイスラムの象徴。さて、１２の星にはどんな意味があるのでしょうか。(１)１２の星座を象徴(２)独立の志士１２人をたたえる(３)国を構成する１２の州(４)国を構成する１２民族融和のしるし(５)その他＜お断り＞この紀行文は２００６年夏のウズベキスタン旅行をもとにまとめたものです。文中の表記は、原則として当時のままです。現在の現地事情と異なっていることもあります。</description>
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<category>ウズベキスタン編</category>
<pubDate>Sun, 27 Jul 2008 15:00:13 +0900</pubDate>

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<title>これが最後よ～ポーランドこぼれ話＜６＞</title>
<description>今や世界に広がる｢ＳＵＳＨＩ｣。古都クラクフにもお寿司屋さんがありました。　クラクフはバルト海から数百キロも内陸にあります。それでも握り寿司がたべらっれるって、すごいですね。？　高級そうな店構え。恐る恐る中をのぞいてみると…。カウンターがあり、ショーケースにはネタが並んでいます。まさしく日本のお寿司屋さんです。もちろん、お寿司は回ってません。たった一つ違うのは、板前さんもお客さんも外国人(自国人というべきか)。優雅に、握り寿司をつまんでいます。懐ろ具合もよろしくないので、そのままＵターンしました。ポーランドでは日本車もたくさん走っています。トヨタだけじゃなく、ニッサンやホンダも目にしました。ルブリンの郊外ではスズキの看板も発見しました。外国を旅してて、いつも戸惑うのが発音の違い。特に地名は要注意。例えば日本語ではポズナニですが、こちらではポズナン。自主管理労組｢連帯｣発祥の地グダニスクはグダンスク。もともと英語力があるわけでもないの、出たとこ勝負のきまぐれ紀行。これまで大きなトラブルにも遭わず、異国遍歴を重ねてきました。さて次回の旅は…。これからもお付き合いくださいね。【写真１】かなり高級なお寿司屋さん。けちけち旅行者には敷居が高すぎる【写真２】メーン道路のそばにあった日本の自動車メーカーの巨大看板【写真３、４】こちらは世界のあちこちでお目にかかる。もちろん某清涼飲料も★　　　★　　　★　　　★　Ｔ上司ランチ漫遊もヨ・ロ・シ・ク</description>
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<category>ポーランド編</category>
<pubDate>Tue, 22 Jul 2008 18:16:00 +0900</pubDate>

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<title>さようなら悲劇の地～ポーランド紀行＜１５＞</title>
<description>９日目の朝が来た。薄いカーテン越しに明るい日差しが差し込んでいる。大きな窓から外をみた。大聖堂の尖塔の向こうに、透明感のある青空が広がっていた。ポーランドで初めて体験する秋晴れだ。太陽は、遠来の異邦人を受け入れてくれたのだろう。まずアダム・ミツキエヴィチ公園に足を伸ばす。東西冷戦の終結。その原動力となったポズナニ暴動。その記念碑が、この公園にあるのだ。２本の柱を組み合わせたような記念碑。高さ２０メートル余り。そのスケールに圧倒される。樹木の多い、手入れの行き届いた公園。天気が良いせいか、ひなたぼっこをする市民も。あれから半世紀。歴史の現場をいかに残し、いかに伝えるのか。これは、かなり難しい問題だろう。続いて旧市街広場へ。中世の街にタイムスリップしたような不思議な感覚が広がる。第２次大戦で灰燼に帰したが、不屈の市民たちがレンガを積み上げ、往時のまま復元したのだ。便利さばかりを追い求めるのではない、街づくりの一つのあり方を教えられた思いがした。今回の旅の目的は、ほぼ達成した。再び列車でワルシャワに戻る。午後６時過ぎ、すっかり日は暮れた。ホテルはワルシャワ中央駅から５分。早めに食事を済ませ、眠りについた。１０日目の朝。日本へ戻る日が、ついにやってきた。アリタリア機、ワルシャワ空港からスイスアルプスを越えてミラノへ。約２時間のトランジット。午後３時、関空へ向けてテークオフ。約１０時間のフライト。翌日午前９時過ぎ、関空に無事ランディング。ひろしま出発から１１日。長いようで短かったポーランドの旅。旅のスタイルは人さまざま。これからも、こだわりの旅を続けたい。＜お礼＞これでポーランド紀行は終わりました。５カ月間の中断を挟む長期連載。ご愛読に感謝します。【写真１、２】ワルシャワーミラノ便の機内食。パンケーキとジュースとコーヒー【写真３】上空から見下ろす雄大なスイスアルプス。もう雪化粧【写真４】ミラノ空港で食べたピッツア。１ユーロ(約１７０円)だった【写真５】ミラノ関空便の夕食。肉か魚がチョイスできる。これは肉【写真６】日本到着前に出された朝ごはん。パンがいまいちだった</description>
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<category>ポーランド編</category>
<pubDate>Mon, 21 Jul 2008 05:15:00 +0900</pubDate>

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